忍者ブログ

普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

心因性難聴だったらどうしたいか

2009年4月8日夜から、腹痛がして下痢気味でもあり、ブスコパンやロペミンを飲む回数が増えていきます。痛みというのは、一度や二度のことなら耐えられますが、痛みが続くようになると、気分が落ち込むようになっていきます。

そしてこのとき、気分の落ち込みはやがて一つの疑問と不満へと繋がってしまいました。

4月14日、喘息の先生が私の体調を色々と聞いてくださいました。排卵があった(ように見える)ために、少し胃腸の調子が悪くなったといった話の後のことです。

「で、メニエール病のことはどう?」
「あ、あの、実は自分で心因性難聴じゃないの? って思いが捨てきれないんですよ」
「・・・知ってると思うけど、心因性難聴かどうかっていうのは、基本的に、あらゆる身体的な検査をして、異常が無い場合に心因性ではないですか、ということになる。いわゆる除外診断になるんですね。この症状があったら心因性という判断の仕方では、ないんですね」
「はい。そうですね」
「ふゆうさんの場合には、内耳に異常があることは確かなんで、心因性難聴という断定ができるかというと、難しいんちゃうかなぁ・・・」
「あの、身体的な異常の程度が1とか2しかなくても、症状が10、20出るというケースも、心因性の場合があるとか・・・」
「それはあり得ますね。その部分は、私は内科なので診断ができないけれども・・・」

「なんで、そういう風に思ったんかな?」
「めまいとかなくて、いきなり難聴だけ言われたというのと、あとは祖母の介護とか、家族とのこととかがあって、『もう誰の言葉も聴きたくない』っていう思いがこういう形になってるんかなって、思いました」
「なるほどね。N先生(精神科)のところへは?」
「明日行く」
「N先生は心の専門家の先生やから、一回聞いてみるといいわ」
「はい」
「まぁ、心因性難聴という発想にはびっくりしたけど、N先生やったら、何かいい考えがあるかもしれへんから」

ありがとうございました。

4月15日、精神科のN先生のところへ行きました。ものすごく混んでいたので、いきなり本題に入りました。

「あの、心因性難聴かなぁって・・・」
「ずいぶん、いきなりですね」
「今日は混んでるみたいですしね」

N先生は、身体的な治療や検査について、たずねました。イソバイドを飲んでいること、聴力検査を行ったことを、お話しました。

「それは多分、再発したという前提で、病気の程度を調べるための検査ですね。除外診断をするための精査まではいってないと・・・」
「はい、そうです」

「ところで、ふゆうさんは『心因性難聴ですよ』と言われたら、どうしたいですか?」
「え?」
「私としては、H先生(喘息の先生)と同じく、ふゆうさんの場合には心因性という断定は難しいと思う」
「はい」
「ただ、あなたが心因性という言葉を見つけてきたということは、なぜそう思うか、どうすれば解決に向かうとあなたが考えているかを探っていくことで、症状が楽になる可能性はあると思いますのでね」

「・・・だった場合に・・・、だった場合に・・・どうすれば・・・どうすれば・・・」
「それは、今すぐ答えるのは難しいですか?」
「あの、多分なんですけど、祖母が暴言を吐いたことを、私が許せるかどうか、という点じゃないかと・・・」

「あぁ、なるほど、それは正解の一つかもしれませんね」
「はい」
「もしもどうしても答えられないが、とても苦しいとか、答えられたとしてもとても苦しいという場合には、リーゼとかデパスとかその系列の薬を活用するという方法もありますのでね」
「はい」

「ただ、心因性難聴という断定は、ふゆうさんの場合には難しいです。身体の治療を受けてくださいね」
「あ、あの、耳鼻科の先生に、心因性難聴かどうか、その可能性があるかどうかは、聞いてみてもいいでしょうか?」
「それは、大丈夫でしょう。先生の診断を否定するような言い方ではなくて、『気になっているところが、あるんです』という言い方なら、大丈夫ですよ」

ありがとうございました。

このころ、一つの不安が首をもたげるようになります。

「イソバイドの瓶が家にあると(冷蔵庫にしまってあると)、これまでの経緯があるので、家族が気を使ってしまうのでは?」ということ。

元気な人は、イソバイドを飲みません。イソバイドの瓶がそのあたりにごろごろと、存在するということは、「何か治療をしている」ということが分かってしまうということ。

先にも書きましたが、私は「介護を丸投げされた」ということそのものは、腹が立っていました。また、被介護者の暴言に関しても、「本心ではなかったのかもしれない」という思いがありながらも、やっぱり腹が立っています。

だけど、それと、メニエール病とは別です。

今思えば、この気持ちをきちんと話す機会を設けるべきでした。この後もう一度、家族を同じ気持ちにさせてしまう出来事が起こってしまうのです。

拍手[0回]

PR

両親のパニック状態への対応に悩む

2009年4月8日、咳が止まらず痰がたまった感じがして大変困り、喘息の先生のところへ行きました。咳止め、痰きりなどの薬を手際よく処方してくださる先生に、ついつい甘えてしまいました。

「あの、メニエール病のことでちょっと悩んでるんですけど・・・」
「ん?」
「あの、祖母の介護を結局一人でしてしまって、その途中で耳が悪くなったんです。それで、両親が『耳が悪くなるほど大変なんやったら、言ってくれれば交代してたのに』って言って、パニック状態になってる」
「うん」
「私は両親のパニックになっている気持ちを、どう受け止めればいいんでしょう?」

「ふゆうさんの場合は、もともとメニエール病があるやん? 介護うんぬんを抜きにしても、悪くなってた可能性はあるやん?」
「はい、あります」
「それを言えばいいんちゃうかな。ご両親の気持ちは、私は分かる気がする。一人でさしてることを、ずーっと気になってたと思う。だから『介護、看病うんぬんとは別に、悪くなった可能性はある』と言う風に、根気良く伝えるのがいいんちゃうかな?」
「根気良く・・・」
「うん。ご両親も、すぐには納得できんと思うから、分かるまで言うしかないよな」
「根気良く・・・」
「そうそう。いずれは伝わると思うから、大丈夫や」
「はい。ありがとうございました」

もしかしたら、私はめちゃくちゃ冷たい考えをしているのかもしれませんが。

「今さら『交代してたのに』と言われても。言うくらいなら交代してみせてほしかった」という不満が、私にあるのは確かです。だけど、時間を巻き戻して交代することができない以上は、「交代しなかった」っていう事実を、引き受けてもらうしかありません。

これは、私の側にも言えます。もっと強く「協力して欲しい」と言っていたら、状況は違っていたかもしれないのです。でも、それを「強く言わなかった」「伝わっていなかった」という事実や、その結果起こってしまったことは、私が引き受けるしかないと思っています。

そして、正直言って、私は自分の状況を受け入れて、改善の努力をすることで手一杯で、人の気持ちをどうこうできるだけのパワーは、この当時はありませんでした。

ただ、少なくとも、両親のパニックにつられて、私が一緒に落ち込んでたらどうしようもないので、もっともっと強くならなければと、思ったのでした。

拍手[0回]

二度目の運命の日

2009年4月7日、この日は二度目の運命の日となりました。この日に書いた文章がありますので、そのままここにコピーしておきます。

■どうして疑いもなく、「空に還る」ことを信じられるのだろう?

人間は自由に空を飛ぶことなど、まだまだできない。でも、自分の寿命が尽きたとき、この空に還っていくことができると、どこかで信じている。

桜の木の下で、そんなことを考えていた、今日の朝の話。

今日は耳鼻科へ行った。先生が「先、オージオ(オージオグラム、聴力検査)しといて」とおっしゃったので、そのようにする。

オージオグラムが済んでから、先生のところへ行く。実は、呼ばれたのが聞えなくて、先生が何度か呼んでくださった。

「こんにちは。ちょっと具合悪かったかな?」
「え、あ、え、あの、呼び出されたのに聞えなくて、すみません」
「それはいいねんけど、難聴の程度が進んでるねぇ」
「・・・え、あ、え・・・」←どんだけ慌ててるねん自分・・・。

「症状は、どうやったんかな? なんか困ることは、なかったかな?」
「めまいは、なかったんですけど、あの前のとき、急に難聴を言われてびっくりして、そのまま言えなかったんですけど、あの、半年前に祖母が亡くなって忙しかった。それで、今も、実はもう一人の祖母が亡くなって・・・」←慌てて返答している私
「あぁあ・・・、そうやったんか・・・。それでまた出てしまったかなぁ・・・。今現在はめまいが出る前の段階なんやと思うわ、僕は。だから、イソバイドねぇ、飲みにくいやろうけど、少なくとも聴こえがちょっとでも改善するまでは、飲んだほうがいいと思うねん」
「はい」
「2週間分出しとくけど・・・、足らんやろなぁ・・・、まぁ薬だけでもいいんで、改善しなかったら来て欲しいねん」
「はい、来ます」

「あ、あの、イソバイドは美味しいと思うんです」
「そうですか。まぁ、そんな人はあまりいてへんと思うけどね」
「はははは」
「まぁ、飲んでもらう方がいいので・・・。それと、次回の予約やけど・・・」
「多分、自分で思うには、半年後とかにしてもらうと、我慢してしまって来ないかも・・・」
「それやったら、二ヵ月後に一回、来てもらおうか。それまででも、聴こえが改善しないようやったら、イソバイド取りに来て」
「はい」

前は、診察が終わったら、もうショックでショックで、廊下が波打って見えるほど、ショックだった。でも、今回はそこまでのことはなかった。

そして処方箋もらって薬局へ行った。薬の説明をしてくださった。
「イソバイドは飲み辛いとは思うんですけど」
「私、結構好きなんですよ。イケてると思うんですよ」
「・・・私は、長いこと薬剤師をしてますけど、そういう人を見たのは、ふゆうさんが初めてです」
「はうう(TT)・・・」

病院から駅まで、バスで帰る方法もあるんだけど、実は歩いても大した距離じゃない。病院へ行くときはバスに乗るけど、帰りは歩くことにしている。

半年前、病院の帰りに歩いた道。秋口だったけれど、暖かかった。空が青くて高く、暖かい空気のなかにも「ぴーん」と緊張させてくれる何かが、混じり始めていたのを思い出す。

今日も、同じ道を歩いた。桜があちこちで咲いていて、優しい空気に包まれているような感じがした。桜の木の下から、ふと青い空を見上げたときに、桜の優しさと「空」というもののもつ懐の深さを感じて、少し涙がにじんだ。

人間は自由に空を飛ぶことなど、まだまだできない。でも、自分の寿命が尽きたとき、この空に還っていくことができると、どこかで信じている。

どうして疑いもなく、「空に還る」ことを信じられるのだろう?
私はどうして、桜の木の下で、こんなことを考えているのだろう?
私はさっき難聴の程度が悪化していると言われて、ショックを受けたはずなのに、どうしてこんな関係のないことを、考えているのだろう?

何を言われても「いずれみんな、空に還ることができるのだから、大丈夫」と思えてしまうのは、なぜだろう?

桜に囲まれた優しい空の下で、そんなことを考えていた、今日のお昼前。

拍手[0回]

体が抗議し始める

2009年3月8日、父方祖母の容態が悪いという連絡が入ります。

そして3月14日朝、父方祖母は天国へと旅立ちました。

通夜や葬儀の間に、喘息になってしまったら困るので、すぐに喘息の先生に気管支拡張剤をいただきに行きました。そして、仕事は急いで片付け、取引先への連絡も済ませてから、斎場へ向かいました。先の母方祖母のときの教訓から、今度は取引先にご迷惑とならないようにと、常に考えていました。

ただ斎場について親族控え室に入ろうとしたとき、私は大きく体のバランスを崩します。従姉妹が慌てて駆け寄ってくれますが「大丈夫、ごめん」と言っただけで、その出来事はそのまま忘れました。

その出来事を思い出したのは、それから4時間ほど経ったときのことです。通夜ぶるまいの席で「聴こえが悪いかも・・・」と気づいたのです。しかしこのときは、誰にも言わないでおこうと決めました。大事な葬儀の席で、そんな話をして家族や親戚、そして亡き祖母に迷惑をかけるべきではないと、そう思ったのです。

3月19日、葬儀の終わった翌々日から不正出血が起こり始めます。基礎体温表の波形を見ると、どうやら無排卵のままのようです。あぁ、せっかく良い方向に向かっていると、お医者さんに喜んでもらえたのに・・・。

でもT先生は落ち着いていました。このくらいなら、ホルモン剤を使って止血するようなものではないので、次の周期も自力で排卵が起こせるかどうかを観察しましょう、と励ましてくださいます。

3月29日、少なくとも3年ほどはおさまっていたはずの乳腺症が、いきなり再発します。乳腺症自体は良性の疾患ですが、乳汁(母乳)が溢れてしまっていることに気づかないままでいると、下着が汚れたり、(私の場合は)皮膚炎になったり、湯船を汚してしまったりします。

4月3日、外科でS先生に診察していただくことが決まっています。S先生に初めて会ったのは、乳腺症にかかったことがきっかけでした。

このたび、いきなり乳腺症が再発したことに驚きながらも「そんなにS先生を待ち兼ねていたのかな」と考えます。

不正出血、メニエール病の症状、そして乳腺症の再発というこの流れを見ると、もしかしたら「体が悲鳴とまでは言わないが、無茶を繰り返していた私への抗議の声を上げている」という状態だったのかもしれません。

4月7日、耳鼻科での聴力検査を受けます。

拍手[0回]

自律神経の薬とメニエール症候群

2009年2月23日、婦人科のT先生に「自律神経の薬を飲みたいです」と申し出ました。

「どうしたん、いきなり」
「布団から起きられへんようになって。で、内科医院と精神科医院で『自律神経の薬を出せば、改善する可能性はある。あるけれども、婦人科の薬(ルナベル配合錠)を飲んでいる人に、どういう影響があるのか、私には分からない』といわれて」
「あぁ、なるほど。まず、自律神経系の薬を同時に飲んでも、矛盾はありませんよ」
「あ、そうなんですか」
「そしてまた、ホルモンのバランスを、人工的に調整しているのだから、体調に影響が出ることもありますね」
「そうですか」
「でも、全部婦人科の影響かって言ったら、そういうこともないと思うけど」

T先生が選んでくださったのは、カルナクリンという薬でした。ルナベル配合錠をやめて、ホルモンバランスを自然な状態に戻してみて、カルナクリンを服用しながら経過を見る、という方法を示してくださいました。

「カルナクリンは、メニエール症候群にも使うことがありますよ。耳も良くなったらえぇのになぁ」
「ありがとうございます」

結果的にはこのカルナクリンが効いたのか、体調は良い方向に向かいました。

3月5日、再び婦人科のT先生の前に立ったときには、T先生は「驚いた」とおっしゃいました。

「ものすごいすごい良くなってるよな、前に比べて。前来たときは、どうしようかと思うほどやったからな」
「はい、めっちゃ楽です」
「前と全然ちゃうもんなぁ。びっくりするくらい、今の方がいいわ」
「それ、内科の先生も言ってはって、前来たときは、どうしようと思ったって」
「カルナクリンを出したんは、結果的には僕やけど、内科の先生の自律神経っていう言葉がなかったら、どうしようもなかったからなぁ。さすが、内科の先生は、よく診てはるわ。前も言ったけど、カルナクリンは、メニエール症候群にも使うことがありますよ。耳も良くなったらえぇのになぁ」
「ありがとうございます」

予定通り、しばらくカルナクリンを続けながら、自力で排卵を起こすことができるかどうか、排卵があった場合のPMSや月経困難症の程度はどうか、といったことを観察することになります。

「もし、次のときまた、死にそうになっとったら、ごめん」
「死にそうになること自体はいいねんけど、ふゆうさんの場合は、死にそうになっても、病院へは来るやろ?」
「うん」
「それやったら安心や」

こんな冗談も出るくらいの余裕が、生まれていました。

拍手[0回]

カレンダー

06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[01/18 シャネル スーパーコピー キーケース]
[10/10 バッグ・財布・時計スーパーコピーブランドコピー]
[07/09 美辞ん堂ふゆう]
[07/07 衣斐 美由紀]
[05/04 t.soota]

プロフィール

HN:
美辞ん堂ふゆう
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R