2009年4月8日夜から、腹痛がして下痢気味でもあり、ブスコパンやロペミンを飲む回数が増えていきます。痛みというのは、一度や二度のことなら耐えられますが、痛みが続くようになると、気分が落ち込むようになっていきます。
そしてこのとき、気分の落ち込みはやがて一つの疑問と不満へと繋がってしまいました。
4月14日、喘息の先生が私の体調を色々と聞いてくださいました。排卵があった(ように見える)ために、少し胃腸の調子が悪くなったといった話の後のことです。
「で、メニエール病のことはどう?」
「あ、あの、実は自分で心因性難聴じゃないの? って思いが捨てきれないんですよ」
「・・・知ってると思うけど、心因性難聴かどうかっていうのは、基本的に、あらゆる身体的な検査をして、異常が無い場合に心因性ではないですか、ということになる。いわゆる除外診断になるんですね。この症状があったら心因性という判断の仕方では、ないんですね」
「はい。そうですね」
「ふゆうさんの場合には、内耳に異常があることは確かなんで、心因性難聴という断定ができるかというと、難しいんちゃうかなぁ・・・」
「あの、身体的な異常の程度が1とか2しかなくても、症状が10、20出るというケースも、心因性の場合があるとか・・・」
「それはあり得ますね。その部分は、私は内科なので診断ができないけれども・・・」
「なんで、そういう風に思ったんかな?」
「めまいとかなくて、いきなり難聴だけ言われたというのと、あとは祖母の介護とか、家族とのこととかがあって、『もう誰の言葉も聴きたくない』っていう思いがこういう形になってるんかなって、思いました」
「なるほどね。N先生(精神科)のところへは?」
「明日行く」
「N先生は心の専門家の先生やから、一回聞いてみるといいわ」
「はい」
「まぁ、心因性難聴という発想にはびっくりしたけど、N先生やったら、何かいい考えがあるかもしれへんから」
ありがとうございました。
4月15日、精神科のN先生のところへ行きました。ものすごく混んでいたので、いきなり本題に入りました。
「あの、心因性難聴かなぁって・・・」
「ずいぶん、いきなりですね」
「今日は混んでるみたいですしね」
N先生は、身体的な治療や検査について、たずねました。イソバイドを飲んでいること、聴力検査を行ったことを、お話しました。
「それは多分、再発したという前提で、病気の程度を調べるための検査ですね。除外診断をするための精査まではいってないと・・・」
「はい、そうです」
「ところで、ふゆうさんは『心因性難聴ですよ』と言われたら、どうしたいですか?」
「え?」
「私としては、H先生(喘息の先生)と同じく、ふゆうさんの場合には心因性という断定は難しいと思う」
「はい」
「ただ、あなたが心因性という言葉を見つけてきたということは、なぜそう思うか、どうすれば解決に向かうとあなたが考えているかを探っていくことで、症状が楽になる可能性はあると思いますのでね」
「・・・だった場合に・・・、だった場合に・・・どうすれば・・・どうすれば・・・」
「それは、今すぐ答えるのは難しいですか?」
「あの、多分なんですけど、祖母が暴言を吐いたことを、私が許せるかどうか、という点じゃないかと・・・」
「あぁ、なるほど、それは正解の一つかもしれませんね」
「はい」
「もしもどうしても答えられないが、とても苦しいとか、答えられたとしてもとても苦しいという場合には、リーゼとかデパスとかその系列の薬を活用するという方法もありますのでね」
「はい」
「ただ、心因性難聴という断定は、ふゆうさんの場合には難しいです。身体の治療を受けてくださいね」
「あ、あの、耳鼻科の先生に、心因性難聴かどうか、その可能性があるかどうかは、聞いてみてもいいでしょうか?」
「それは、大丈夫でしょう。先生の診断を否定するような言い方ではなくて、『気になっているところが、あるんです』という言い方なら、大丈夫ですよ」
ありがとうございました。
このころ、一つの不安が首をもたげるようになります。
「イソバイドの瓶が家にあると(冷蔵庫にしまってあると)、これまでの経緯があるので、家族が気を使ってしまうのでは?」ということ。
元気な人は、イソバイドを飲みません。イソバイドの瓶がそのあたりにごろごろと、存在するということは、「何か治療をしている」ということが分かってしまうということ。
先にも書きましたが、私は「介護を丸投げされた」ということそのものは、腹が立っていました。また、被介護者の暴言に関しても、「本心ではなかったのかもしれない」という思いがありながらも、やっぱり腹が立っています。
だけど、それと、メニエール病とは別です。
今思えば、この気持ちをきちんと話す機会を設けるべきでした。この後もう一度、家族を同じ気持ちにさせてしまう出来事が起こってしまうのです。
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