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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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神様が私に教えようとしていること

神様は、何の意味もなく人間に試練を与えたりしない。それがもしも本当なら、神様は私の耳を塞ぐことで、何を教えようとしているのだろう? 私に何を学ばせようとしているのだろう?

私はただ「不幸だった」「不運だった」と嘆くだけではなく、何か大切なものを、一つでも二つでも見つけたいと思う。神様が、何を教えようとしていたのか、いつか分かるときが来るように、生きていきたいと思う。

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「好き」という鍵で開ける扉

私はすごく好きな散歩道がある。わざわざ電車に乗って、その道を歩きに出かけるほどだ。その道を歩いているとき、日光がキラキラと輝いているように感じられる。家でも、他の外出先でも、同じお日様の光を浴びているはずなのに、なぜかその散歩道に差し掛かると、すごくキラキラと綺麗な光に感じられる。

近くに、天皇陵があって大きな公園がある。車の交通量は少ないほう。線路沿いなので電車が時々通過する。だからおおむね静かな道で、夜中にこの道を通るとしたら、少し怖いかもしれないとすら思う。

私はこの道が本当に好き。日光がキラキラと降ってくるこの道が大好き。

気分が塞いだとき、精神的に落ち込んでしまうとき、どうしても「にぎやかな音楽を聴いて、気を紛らわそう」と思ってしまう。それはそれで、一つの方法だし、気がまぎれるときもたくさんあって、いいと思う。でも、この散歩道はものすごく静か。静かなのに、気分が塞ぐということがなくて、歩いているうちに楽しい感じすらしてくる。キラキラの太陽と、たぶん土地の持つパワーみたいなものが、自分のエネルギーを充填してくれているのだと思う。散歩をしてからしばらくは、目を閉じればキラキラの太陽を思い出すことができる。

昔、天皇陵を建造するようなときには、土地のパワーがあるところに造ったものだった、ということを聞いたことがある。私にはそういうパワーを感じる直観力というのは、残念ながらないけれども、もしかしたら「好き」という感覚そのものが、そういうパワーを受け入れるための鍵になっているのかもしれない、と感じる。自分が閉ざしてしまった自分の心の扉を、「好き」という鍵で開けようとしているのかもしれない。

キラキラと太陽が降ってくる道で、いつもお世話になっている人たちのことを考える。すると「あの人も、この人も太陽のような温かい人だ」と感じる。キラキラの光の中で、今まであったつらいことを考える。すると「あの経験はきっと、これからの自分の人生を照らす太陽に変わってくれるだろう」と思える。

散歩道を歩いている時間は、せいぜい30分というところだけれど、長い人生という道の一部分が、こんな素敵な道だったことに感謝したいと思う。そうして何度も「好き」というキラキラした感覚をよみがえらせながら、人生の扉を開けて進んでいきたいと思う。

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極悪人にしてごめんなさい

喘息の先生のところへ行った。

「N先生(精神科)に抗うつ剤出さないって言われた」
↑N先生、あらかじめ謝っておくけど、極悪人にしてごめんなさい。↑
「はあぁ? なんで?」
「今はいろいろあって、うつ状態になるのは、ある程度当たり前やから、抗うつ剤が現実的な問題を解決してくれるわけじゃないからって」
「それって、N先生が温かい心を持って言ってくれてるんじゃあ?」
「そうですか?」
「そうです。意地悪で言ってるわけじゃないで」
「ははははは。N先生、極悪人にしてごめんなさい」
「ははははは」

「で、喘息はどうかな?」
「調子はおおむね良かったです」
「(目の下を見ながら)貧血も起こってなさそうですね」
「はい」
「この調子ですごしてください」
「はい!!」

「あの、一つお願いがあるんですけど」
「なんですか?」
「えっと、主治医の先生の写真を撮らせてもらっているのですが、H先生の写真を撮らせてもらってもいいですか?」
「ははははは」
「ははははは」
「前に、外科の先生やっていって、男前の先生の写真は見せてもらったよな」
「はい、それは、前に診ていただいていた先生です」
それから増えたアルバムを見せると・・・
「どの先生も優しそうやなぁ」
「はい、優しいです!!」

「私は、写真を自分がとるのは好きやけど、自分が撮られるのってあんまり好きやないねん。だから家族の写真はあっても、自分の写真はあんまりないねん」
「わかります、それ」
「ははははは」
写真を撮らせてくれたH先生は素敵だ。ありがとうございます。

今日で年内の診察は終わりだ。また来年もどうぞよろしくお願いします。次のときに、写真持って行きまっす!!

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「出して」って言ってないもん(負け惜しみ)。

精神科の先生のところへ行った。

意図的ではないけれども、後から考えると、いかにも抗うつ剤が劇的な効果をあげそうな内容を話した。
「○○○で、△△△で、□□□なのです」
「そうですか。まぁ抗うつ剤は出さないでいいですね」
「えぇえ!? なんでですか?」
「また、トレドミン飲みますか? そうなったら大変でしょう?」

「今から薬の量、増やしたら大変でしょう。問題なくすごしてるのにね。それに今出しても、(現実的な)問題の解決につながるとは思えんね」
「まぁ、そうですね」
・・・なんか言いくるめられたような気分になりつつも、その話はそれで終わった。

よく考えたら私は「抗うつ剤出してほしい」とは初めから言っていない。それに、あまり簡単にトレドミンを出してもらえるとか、思ってなかった。
でも「出さない」といわれると、なんだか負けたような、引き下がれないような感じがして、ついつい「なんでですか?」と言ってしまう。こういう私は、催眠商法とかに行くと、絶対引っかかるタイプだ。

ちなみに、パニック障害を伴う場合には、パキシルのほうが、トレドミンより効果が上がるという説もあるそうだ。私はもともとトレドミンを使っていたので、そのままトレドミンを使った。だからパキシルというのはあまり知らないけど、初めの2,3週間を副作用と闘ってそして勝利すれば、効き目があがり始めるそうだ。トレドミンは初めの副作用が緩やかなのだそうだ。

「次は3週間後にしましょう」
「年末だからですか?」
「そうですね。今日はずいぶん待ってもらってね」
「いえ、今年もありがとうございました」
「良いお年をお迎えください」

ぺこり。診察は終わった。今年もありがとうございました。

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恋の病に似ている

ある人に、クリスマスカードを送るかどうかを散々迷っていた。

それは、その人が私のことを「そういうキャラではない」と思っているだろうからだ。その人は、私を「髪を青く染めたり、投げ遣りな態度をしたり、享楽的な雰囲気を持っていたり・・・」というイメージがあるだろう。だから、誰かのためにクリスマスカードを用意して送る、というような人間とは、思われてないことだろうと思った。

それもあって(要するに恥ずかしいので)、送るかどうか散々迷いまくり、今日になってやっと「本当の私にはこういうところがあると、分かってもらえると嬉しい」と決断して、投函をした。

だがしかし「やっぱり変なやつと思われるかも・・・」とか思っているうちに、なんだか久しぶりに胃けいれんを起こしてしまい、ブスコパンを2錠のんで、のた打ち回っていた。

あぁ、なんだか恋の病に似ている。
「嫌われたらどうしよう?」「いい子だと思われたい」「振り向いて欲しい」・・・。こんな思いが胸にいっぱい詰まっている。

大の大人でも、こういう状態になる。もっと若い人が「あの人に恋をしているの」という状態だったら、もっと激しい症状(?)が出るんだろうな。

あぁ、今日の胃けいれんは恋の病に似ていたのだな。

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