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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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介護に依存するのではない生き方が、できるだろうか?

祖母の生前中、いつも「祖母がこの料理を食べられるか」という基準で、献立をきめていた。新しい家電製品を買うとき「祖母が使い方を憶えられるか」という基準で、選んでいた。「祖母ができないことは、自分がやる」という基準で、行動をきめていた。

突然「今日からは、何を作ってもいいよ」といわれると、何を作っていいか分からなくなった。「今日からは、あなたが使いやすい家電を買っていいよ」といわれると、選べなくなった。「今日からは、全部自分の裁量でやっていいよ」と言われても、どうやって手を抜いていいのか、どこまで完璧にやったらいいのか、分からなくなった。

ご飯は、祖母と食べることが当たり前だったので、両親とは残念ながら何年も、一緒に食べたことがなかった。だから突然、両親と自分が食卓を囲むことになっても、どうしたらいいのか、まったく分からなかった。どういう顔をして、何を食べて、どのくらいのペースで食べ終わったらいいのか、まったく分からなかった。

「祖母の介護・介助をする」といえば、聞こえはいい。

ただ、自分の場合には介護という言葉の陰に隠れ、祖母の存在に依存していただけではないのか、と、家事の「程度」に戸惑うたびに思う。

祖母は残念ながら、新しい家電製品を買っても、使い方を憶えられないことが多かった。その分、家族に頼りきりになって生活せざるを得なかった。家族のなかでも、仕事で疲れていて、なんとなくどうしてもきつい言葉で対応する者よりは、普段から一緒にいて、言葉のペース配分が分かっている者に聞くほうが、安心できたという面があるだろう。しかし、あまりにも、祖母から同じことを何度も聞かれるたびに、不安になったこともある。

私がいなかったら、祖母はどうなるのだろう?

祖母への思いをたてに、私自身の判断や欲求を後回しにして、祖母の希望を優先させたこともある。このことは、私自身が祖母という存在に依存していたことの表れではないだろうか。

「まずは祖母のやりたいことを優先させる」

これは一見、美しい行為だけれど、裏を返せば、私が自分の人生を自分で判断しない、という生き方でもある。

今後、親の介護なども、自分にかかってくる。そのときに、介護に依存するのではない生き方が、自分にできるだろうか?

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こいつには充電のし甲斐がある

喘息の先生のところへ行った。今日の問題は、急性胃腸炎になってしまったということ。「無理せんと、しっかり休んどきや」といわれた。

喘息の先生は、私を18年くらい診てくれている。アトピー性皮膚炎がメインの受診理由だったときもあったし、低血圧や不定愁訴、メニエール病の応急治療、うつ状態で精神科の先生を紹介してもらう、などなど、様々な歴史があったことを、思い出す。そして、ついには成人喘息などというものになってしまった。

私もうんざりするときがあるが、多分、先生も間違いなく、うんざりしたこともあるだろう。あるに違いない。
「先生が一方的に私を心配する」
「私は一方的に先生を頼る、あまえる、病気になる」
こういう関係がずーっと、18年続いているのだ。

友人関係でも、なんでもそうだが「今はしんどそうだけれど、こいつは少し助けてやれば、頑張れる。きっといつか、いい方向に進むことができる」ということを思える相手でないと、関係は長続きしない。たとえ「心配」から始まった相手であっても、「いつか立ち直れる」と信じられる相手でないと、手を貸したくなくなってくる。

自分は、信じてもらえているだろうか?

今回、急性胃腸炎になる前のことだが、Sさんという私がとても信頼している人に対して、同じことを思った。

「今、とてもSさんに会いたいのだけれど、今の自分では心配をかけてしまうと思う」

それが、正直な思い。Sさんとは、そう頻繁に会えない分、「よい状態」で会いたいのだ。今まで散々心配をかけておいて、いまさらかっこつける事はない、と思われるかもしれない。しかし、Sさんとは「心配」で縛りあう時期は、もう終わったと思っている。

喘息の先生には、正直に症状を話さないと治療にならないので、話すけれども、それも徐々に変わってきた。

20歳前後だっただろうか。色々な病気だと、次々に病名をつけられて、びびりながらも、どこかで「私は絶対にこの苦難の道を乗り越えてみせる」という自信があった。「差別や偏見に打ち勝ってみせる」という自信だけはあった。残念ながら、大好きだった祖母も、私の病気を「受け入れがたいことと」と考えていたようで、その点では色々と考えさせられ、衝突し、泣いたことも多かった。

でも、20歳前後のお気楽な学生が、差別や偏見を本当の意味で「経験していた」とは言いがたい。本当の意味での肉体的苦痛を、まだまだ分かってなかったともいえる。それなのに「乗り越えてみせる」という妙な自信だけはあった。

経験を積むにつれて、自信は少しずつ崩れていき、肉体的には疲弊していき、パワーがうまく発揮できなくなっていった。

それでも、私が疲れ切っているとき・・・。「何かあったんか?」と声をかけてくれる先生、検査の予定をわざと入れて、リカバリールームでじっくり話を聞いてくれる先生、診察順番を後回しにして、他の患者さんに迷惑をかけないようにしてから、「今日はゆっくり話そう」と言ってくれる先生・・・、色んな先生と出会った。

そうして、肉体の治療をするだけではなく、空っぽになった心を、充電してもらった。

「こいつには充電のし甲斐がある」

そう思ってもらえる存在でありたかった。なかなか、うまく行かないけれど、18年付き合ってもらった喘息の先生や、言葉はきついけど「ばーん」とぶつかってきてくれるSさんや、そのほかの先生方に感謝しつつ、今は急性胃腸炎を治して、そしてまた立ち上がりたいと思う。

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いつか現実に戻るための優しさ

婦人科のT先生のところへ行った。

「出血止まらず・・・」
「止まらず・・・」
「これって、30日以上止まってないやん」
「そうなりますね」
「そうなりますね、じゃなくって・・・なっさけない薬やなぁ・・・」
「ははははは」
「ははははは」

「もう一回、ルナベルを飲んでみよう!!」
「はい!!」
「でも、もう一回同じ状態になるなら、やめよう!!」
「やめるんですか!?」
「月経困難症が改善されない、出血が止まらない、やったら何のために飲んでるかわからんやん」
「確かに・・・」

「今はどうするかというと・・・、前にオーソM-21飲んでたときも、同じようなことがあって、止血にはノアルテン-Dを使いましたね」
「はい」
「今回も、そうしましょう。明日から、手持ちのアドナ、トランサミンを飲んでもらって、止まるようだったらそれでよし。止まらなければノアルテン-D」

来週に予約を入れてもらった。

私は「お医者さん」という立場の人、医療関係者の方と接している時間が、結構長い。それは、他の会社員や自営業という人と比べても長いし、自分の生活時間の割合でいっても、結構長い。仲の良い友達とかよりも、たくさんの時間を、お医者さんとすごしている。

このことは、医師に依存感情を持ってしまうとか、なかなか合う先生に会えないからと、何度もお医者さんを変えるドクターショッピングといわれる状態に陥るとか、そういう危険性もはらんでいる。T先生は「同じ科の先生を何人も変えて、合わない、合わないという思いを繰り返すほうが、深刻に思えるな」とおっしゃっていて、それはそのとおりだと思う。

患者は、お医者さんのところへ行くとき、特に受診しはじめた初めのうちは、気力も体力も使い果たしていて、空っぽになっていることが多いので、そういうときはお医者さんの力、医療関係者の方の力を借りなければ、どうしようもない。でも、お医者さんの優しさというのは、患者を医療に縛り付けるためのものではなく、患者が現実へ戻っていくためのものだということを、忘れてはいけない。

お医者さんは優しくしてくれる。その優しさというのは、まずは「お医者さんと患者とがうまく関係を築いていける」という点に注がれることだろう。しかし、同時に「いい関係」をもとにして、いずれ患者が生命力を取り戻して、「現実の社会でどうやって生きていくかを考えられる」という状態になるために、向けられるほうが、良いのだろう。

現実的には、お医者さんのように優しくしてくれる人ばかりではなくて、病気というだけで偏見を持たれたり、何かの拍子に病気のことをからかわれたり、というつらいこともまっている。それは、偏見を持つほうがおかしい、とか、病気のことをからかう人の考えがおかしい、病気の人を受け入れない社会がおかしい、と言ってしまえば、それまでになってしまう。

患者は「そういう人もいるなかで、どうやって生きていくか」ということを、いずれ考えなければならないだろう。

私は婦人科に通っているということで、とても心配してくれる人、ともすれば余計なおせっかいを焼いてくれるといった人にも、出会ってきた。特に、年配の女性の方は「嫁して三年・・・」ということを「自分も言われてきたので、ふゆうちゃんにはそんな思いをしてほしくないのよ」という感じで、接してくれる人もいる。それも度が過ぎると「嫁してないのに、どうしろっていうんだ!!」みたいに感じる。

お医者さんは、決してそんなことを言わないし、逆に「そういったつらいことを言われた・・・」という悩みを聞いてくれることもある。この優しさというものを、患者が受け取ることができたら、気力とか体力とかを充電する。そして、現実的にどうやって生きていくのかということを、考えられる方面に力を使えると良いのだと思う。

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【書籍情報】からだと水の事典・・・高いです。

「からだと水の事典」朝倉書店 が発売されました。

以下、私にこの書籍を紹介してくださった先生の言葉を引用します。
【引用始まり】 ---
我々の体と水は切っても切れない関係で3分の2以上が水で構成されています。特に耳はリンパが溜まる場所であり、必要以上に滞るとメニエール病になります。

そのようなメカニズムを知りたいという方には満足度の高い事典です。

ただ、お値段は1万円を超える代物ですが。(筆者注:14700円です)

耳の話だけではなく、体全体の各臓器と水との関係が紹介されてます。
【引用終わり】 ---

値段が14700円・・・。高いよ・・・。貧乏ライターには高いっすよ・・・。きっとこのくらい買えるライターになって、いつか絶対ゲットします!!

※※※追記※※※
この記事が、記念すべき100記事目となりました!! 書き続けてきて、ここまできたことが、まずは嬉しいです。

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多分、絶縁された。。。

慶事と弔事が重なってしまった場合に、残念ながら慶事を欠席して弔事を優先する、ということは、マナーとして知られている。自分も、非常に残念に思いながらも、そのようにした。

また、その後になって、過労から自分の体調が悪化して、枕から頭が上がらないような日があった。

何とか回復しようとしている自分に、多分、慶事に関する友人から、絶縁されたのだと思える現実が待っていた。

もしも、自分の体が二つあったら、自分は慶事と弔事の両方に参加したかった。もしも、自分の心が二つあったら、慶事を喜び、弔事を悲しみたかった。

もしも、自分の体が三つあったら、一つは友人のために、一つは弔事のために、一つは自分の体を治療するために、使った。

友人を祝う気持ちに、一点の曇りもなかった。それは本当。

だからこそ、慶事を控えている友達に、自分の不幸ごとは話さないで、逆に、いつ打ち明ければいいかということに、真剣に悩んだ。でも、そんなに悩んだ結果として、こんな現実が待っているなら、自分はただの馬鹿だったのかと思える。どうすれば、友人に気持ちが伝わったのだろう?

あなたを祝う気持ちには、間違いはないんだけど、でもね、同時に亡くなった人を悼む気持ちもあるんだ。それぞれに「時」「タイミング」というものがあって、それは、私の力では、どうしようもなかった。

欠席して、ごめんね。
それ以上の、何もいえなくて、ごめんね。

追記

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