婦人科のT先生のところへ行った。
「出血止まらず・・・」
「止まらず・・・」
「これって、30日以上止まってないやん」
「そうなりますね」
「そうなりますね、じゃなくって・・・なっさけない薬やなぁ・・・」
「ははははは」
「ははははは」
「もう一回、ルナベルを飲んでみよう!!」
「はい!!」
「でも、もう一回同じ状態になるなら、やめよう!!」
「やめるんですか!?」
「月経困難症が改善されない、出血が止まらない、やったら何のために飲んでるかわからんやん」
「確かに・・・」
「今はどうするかというと・・・、前にオーソM-21飲んでたときも、同じようなことがあって、止血にはノアルテン-Dを使いましたね」
「はい」
「今回も、そうしましょう。明日から、手持ちのアドナ、トランサミンを飲んでもらって、止まるようだったらそれでよし。止まらなければノアルテン-D」
来週に予約を入れてもらった。
私は「お医者さん」という立場の人、医療関係者の方と接している時間が、結構長い。それは、他の会社員や自営業という人と比べても長いし、自分の生活時間の割合でいっても、結構長い。仲の良い友達とかよりも、たくさんの時間を、お医者さんとすごしている。
このことは、医師に依存感情を持ってしまうとか、なかなか合う先生に会えないからと、何度もお医者さんを変えるドクターショッピングといわれる状態に陥るとか、そういう危険性もはらんでいる。T先生は「同じ科の先生を何人も変えて、合わない、合わないという思いを繰り返すほうが、深刻に思えるな」とおっしゃっていて、それはそのとおりだと思う。
患者は、お医者さんのところへ行くとき、特に受診しはじめた初めのうちは、気力も体力も使い果たしていて、空っぽになっていることが多いので、そういうときはお医者さんの力、医療関係者の方の力を借りなければ、どうしようもない。でも、お医者さんの優しさというのは、患者を医療に縛り付けるためのものではなく、患者が現実へ戻っていくためのものだということを、忘れてはいけない。
お医者さんは優しくしてくれる。その優しさというのは、まずは「お医者さんと患者とがうまく関係を築いていける」という点に注がれることだろう。しかし、同時に「いい関係」をもとにして、いずれ患者が生命力を取り戻して、「現実の社会でどうやって生きていくかを考えられる」という状態になるために、向けられるほうが、良いのだろう。
現実的には、お医者さんのように優しくしてくれる人ばかりではなくて、病気というだけで偏見を持たれたり、何かの拍子に病気のことをからかわれたり、というつらいこともまっている。それは、偏見を持つほうがおかしい、とか、病気のことをからかう人の考えがおかしい、病気の人を受け入れない社会がおかしい、と言ってしまえば、それまでになってしまう。
患者は「そういう人もいるなかで、どうやって生きていくか」ということを、いずれ考えなければならないだろう。
私は婦人科に通っているということで、とても心配してくれる人、ともすれば余計なおせっかいを焼いてくれるといった人にも、出会ってきた。特に、年配の女性の方は「嫁して三年・・・」ということを「自分も言われてきたので、ふゆうちゃんにはそんな思いをしてほしくないのよ」という感じで、接してくれる人もいる。それも度が過ぎると「嫁してないのに、どうしろっていうんだ!!」みたいに感じる。
お医者さんは、決してそんなことを言わないし、逆に「そういったつらいことを言われた・・・」という悩みを聞いてくれることもある。この優しさというものを、患者が受け取ることができたら、気力とか体力とかを充電する。そして、現実的にどうやって生きていくのかということを、考えられる方面に力を使えると良いのだと思う。
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