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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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お医者さんと「うまくいく」方法

素人があれこれ考えただけですので、医学的な部分で誤りがあるかもしれません。

さて、いきなりこの記事のタイトルを裏切るようなことを言ってすみません。あらかじめ謝っておきます。

お医者さんと自分の間が「うまくいく」ためには、画一的な方法はありません。「こうすればうまくいく」という、万人に共通の方法なんて、ないのです。お医者さんにも個性がありますし、患者の側にも個性があります。どちらも機械を相手に「正解」を求めているものでは、ないのです。

お医者さんとは、長い付き合いになります。そのため「人間対人間」のマナーを守るということが、まずはとても大事です。

まずは「初対面時には、マナーを守る」ということ。挨拶はきちんとすること。自分の用件ばかり話さないこと。きちんと話を聞こうとすること。これを守るっていうことです。これをしていると、お医者さんと自分の「ちょうどいい」距離が見えてきます。

われわれのように、医学的には素人という人間は「聞いても分からない」という理由で、全部をお医者さんに任せてしまいがちなところがあります。しかし、それではいけません。聞く耳を持ってください。分からなければ聞き返せばいいし、忘れそうならメモを取ってもいいのです。

・自分の病気はどんな状態か?
・何を調べるために、検査を行なうのか?
・投薬を受けるのはなぜか?

これらを知っておきましょう。私の経験では、一生懸命話を聞いていたら「初診」という言葉そのもの、日本語を一生懸命解説してくれた、めちゃくちゃ丁寧なお医者さんもいました。

たとえば、あの有名な「イソバイド」は経口浸透圧利尿剤の一種です。腎臓の問題がある方も、服用している場合があります。 メニエール病は耳の病気なのに、なんで利尿剤を飲むのか? こうしたことは、お医者さんがきちんと説明してくれますから、メモを取ってきちんと聞きましょう。そして、風邪などの一過性の病気とちがってメニエール病のような慢性疾患にかかった場合には、その解説書を一冊読むくらいの覚悟はしましょう。こうして、自分への理解を深めることは、とてもとても、とてーも大事です。 

また、病院へ行くと「待ち時間が長い」ということは、患者の誰もが思っていることです。しかし、その「長い時間」に、お医者さんは診察をしているのです。ただ待っているのではなく、お医者さんは働いているのです。自分が待たされたときほど、お医者さんのしんどさをも、考えられる患者になりましょう。

もうひとつは「お医者さんとは、こういう人だ」という決めつけを、やめてみることが大事です。どんな人間関係でもそうですが、「こんな人かもしれない」という思い込みがあると、正しく相手を理解できなくなります。関西生まれ、関西育ちの人が、阪神タイガースのファンとは限りませんし、医業にぴったりに見える先生が、経済学に精通していて産経新聞大好き、というケースもあるかもしれません。

さて、手術を受けたり、入院をしたりすることになったら、便箋と切手と封筒をもって入院しましょう。普段、手紙を書いたりしていない誰かに、手紙を書いて見るチャンスです。病気になって初めてわかる健康のありがたさ、友人・家族のありがたさ。これを「言わなくても、感謝の気持ちが伝わっていると思った」というのは、思いあがりです。あなたは、感謝の波動やオーラを出して、他人に念力を伝えられる能力があるのでしょうか? そうでなければ、入院中、時間がありますので、手紙を書きましょう。

そして、退院時にはお医者さんへ「感謝の手紙」を書いてみましょう。どんなことが嬉しかったか、ということを、具体的に書きましょう。メニエール病の場合には、退院してからも、お医者さんとの付き合いは続きます。そのため「今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」という言葉を添えましょう。

最後にもう一度書きますが、万人に共通する「うまくいく方法」というのは、ありません。お医者さんと自分の個性がうまく噛み合うように、すごしていければいいですね。

素人があれこれ考えただけですので、医学的な部分で誤りがあるかもしれません。

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うっかり自分の本名を署名した

黙秘の男、署名で足=所持品預かり証に本名−愛知県警
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080705-00000062-jij-soci
【引用始まり】 ---
自分の所持品預かり証にうっかり本名で署名したため容疑者本人と特定、起訴されていた
【引用終わり】 ---

人間には、こうした「本当のことをいってしまう」という場合がある。このためフィッシング詐欺といった手口が成立するのだ。黙秘権については知っていたのだろうが、しかし、警察の捜査力をなめていたり、自分の集中力(本当のことを言わないという集中力)を過信していた、ということが、こうした「うっかり」を招いたのだろう。フィッシング詐欺でも、被害者の不安感をあおって、本当のことを言わせてしまう、という方法が、広く行われているのだ。

しかし、この被告には、「親が立てこもり事件の犯人」というつらい過去があるようだ。親が親なら子も・・・、と呟きたくなる。

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コンドールマン 第4話 「輝け! ゴールデンコンドル」

コンドールマン 第4話をみた。開始早々のアクションシーンには、なんとか慣れてきた。

主人公:三矢一心の姉夫婦が、商事会社の倉庫っぽいところに誘拐されて閉じ込められる、という設定は、それだけを聞けば「ありえへんやろ」と思う(これについては後述)。

そして、もう1つのヤマ場は、ダバ老人が助けに来るところ。しかし「まことが危ない!!」と分かっていて、助けに行きたいという一心の気持ちはよく分かる。そこに「心を落ち着けてからいかなければ、モンスター一族の思う壺だ」と、寺で瞑想させるという、なんとも日本的なダバ老人(=古代ムー帝国の呪術者の末裔)にも、不思議さを感じる。

さて、今日はコンドールマンを録画しておいて見たタイミングがおそかったので、父も一緒に見ていた。

「こんな車(黄色いソーラーカー)にのって走ってるやつおったら、目立つやんけ」
正義のヒーローは目立たなければ仕事にならない。

「マスクかぶっとったら、変なやつやと思われるやんけ」
正義のヒーローは、多かれ少なかれ「変わった」性格をしている。

「こんな技あるんやったら、早く出せば良いのに」
それはヒーローものや水戸黄門を見る場合には、言っては行けない。

なんか、見終わったときに、いつもよりパワーを使った感じがした。きっと気のせいだ。

次回は、「紅コウモリ現わる」だ。期待しよう。祖母が「コウモリなんか、あんまり怖くないやん・・・」と言っていた。それはイエコウモリしか知らないから言える言葉だ。こんな言葉を聞いたって、期待する気持ちは変わらない。

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季節に合った服を着よう

郵便局へ行った。局員さんが全員、おそろいのアロハシャツを着ていた。

なんか、いいわぁああああ。

スカイブルーに、オレンジっぽい色のハイビスカスが描かれていて、郵便局の雰囲気を、明るくしている。とても素敵だ。クールビズの考え方を反映したものでもあり、また、郵政民営化の効果が、こうした形で現れている、ということもあるだろう。

いいわぁあああ。

楽しい気分だと、余計に切手やはがきを買ってしまうといった効果も、あるかもしれないな。

私も最近、ノースリーブの服、タンクトップなどを着ているが、袖の型が日焼け後として残っている。私は光アレルギーの傾向があるので、顔だけは鬼のように注意を払っている。しかし、どうしても腕の対策というのは、おそろかになっている。あぁあ、反省しなければ。こんなに腕がぼろぼろになってるじゃないか。。。

ちなみに、アトピーをもっていると「人目が気になる」ということがあって、夏でも長袖を着る、という人がいる。しかしこれは、体温が上がってしまい、かゆみが余計にひどくなるので、程度問題だ。これは乾燥肌の人にも、同様のことが言える。

また「他人は他人を気にしていない」という割り切りも大事だ。自分が「電車にのっていた誰か」のことを、一ヶ月も二ヶ月も覚えていないのと同じ。他人に一瞬「皮膚炎がひどい」とばかにされたとしても、その人が「一ヶ月も二ヶ月も、馬鹿にしてるわけじゃない」と割りきって、半そで、ノースリーブをうまく利用しよう。

このことは、いい年をしてバラ模様のノースリーブ(フリルがふりふり)を着ている自分を、肯定しているという意味ではない。ただ、前向きに生きようという決意表明だ(どんな表明だ)。それに、新しい服を一枚買っただけで「燥転したのか?」「辛いことでもあったのか?」と心配する人もいるし・・・。実際「あるんだったら、もう一枚、余計に買うことをしない」という習慣は身についている。それに、もうすぐ太る予定なので、服を今買っても買いかえることになるし(もうすぐっていいながら、4年たったけど)。

まぁこうして、郵便局の人を見て、季節にあった服装をしよう、と決意をしたのだった。

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注意したら直る、と思うからする

急に「注意したら直ると思うから、するんだ」という言葉が、胸に迫ってきた。

かつて自分が、「Zさんという人に困っている」と愚痴をこぼしてしまったとき、Xさんという人がアドバイスをしてくれた。

「Zさんに『初めにZさんの行動・言葉が荒れたのは、Zさんだけのせいでは、ないかもしれない。しかし、そんなことを繰り返していると、自分自身を貶めることになるから、やめたほうがいい』という形で、話してあげたほうがいいよ」

確かにXさんのお話には、うなずけることもあった。ただ、XさんとZさんは、一面識もないということもあって、ただ私がXさんの言葉を、右から左へ告げるってことも、なんだかよくないような気がして、すぐにはいえなかった。

数日たって再び、Xさんから忠告された。

「多分、Zさんの行動は直らないんじゃないか。直らないと思っても言わなきゃいけないこともあるけど。でも『私のせいじゃない』と凝り固まっているZさんが気づくには、もっともっと時間がかかるよ」

結果的に、Zさんの言うとおりだった。ただ、Xさんが長い一生の中で、いつか(5年後、10年後でもいいので)気づいてくれるなら、それでいいのかもしれない、と思えるようになった。たとえ、Xさんが謝ってくれるとか、何かしなくてもいいので、ただ「気づいて」くれるなら、こんなちっぽけな私の、たった数言の言葉にも、なんらかの意味があったのでは、と思える。

もしも、自分が注意を受けたとき、素直に聞ける姿勢が、常にあるといえるだろうか? Zさんのように、かたくなになっていないだろうか?

「どうせ言っても、直らない」と思われるような事態を、招いてはいないだろうか?

これから、いつも心をやわらかくしていこうと、そう思った。

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