急に「注意したら直ると思うから、するんだ」という言葉が、胸に迫ってきた。
かつて自分が、「Zさんという人に困っている」と愚痴をこぼしてしまったとき、Xさんという人がアドバイスをしてくれた。
「Zさんに『初めにZさんの行動・言葉が荒れたのは、Zさんだけのせいでは、ないかもしれない。しかし、そんなことを繰り返していると、自分自身を貶めることになるから、やめたほうがいい』という形で、話してあげたほうがいいよ」
確かにXさんのお話には、うなずけることもあった。ただ、XさんとZさんは、一面識もないということもあって、ただ私がXさんの言葉を、右から左へ告げるってことも、なんだかよくないような気がして、すぐにはいえなかった。
数日たって再び、Xさんから忠告された。
「多分、Zさんの行動は直らないんじゃないか。直らないと思っても言わなきゃいけないこともあるけど。でも『私のせいじゃない』と凝り固まっているZさんが気づくには、もっともっと時間がかかるよ」
結果的に、Zさんの言うとおりだった。ただ、Xさんが長い一生の中で、いつか(5年後、10年後でもいいので)気づいてくれるなら、それでいいのかもしれない、と思えるようになった。たとえ、Xさんが謝ってくれるとか、何かしなくてもいいので、ただ「気づいて」くれるなら、こんなちっぽけな私の、たった数言の言葉にも、なんらかの意味があったのでは、と思える。
もしも、自分が注意を受けたとき、素直に聞ける姿勢が、常にあるといえるだろうか? Zさんのように、かたくなになっていないだろうか?
「どうせ言っても、直らない」と思われるような事態を、招いてはいないだろうか?
これから、いつも心をやわらかくしていこうと、そう思った。
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