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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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いつか卒業のときがくる。

中学校時代の先生が、電話をかけてくれた。今も中学校のときと同じ呼び名で呼んでくれる。用事そのものは滞りなく済んだ。

「こうして話してると、あぁ、大人なんやなぁと思う」

私は「子ども」ではないけれども、先生と話していると「先生と生徒」という立場に、一気に戻った感じがする。それでも今は、先生じゃないし、生徒じゃない。

生徒にとって先生は、目上の人であり、強くて、正しくて、生徒を思うという「大人」であった。

しかし、いつからか「強くて、正しくて、生徒を思う」ということが、いかに大変であったか、生徒の「理想」をある程度満たしてくれる「先生」という存在が、いかに大変な立場であったか、分かるようになる。長く付き合うにつれて、先生が「仕事のこと」を、上から下へ教える感じではなく、会話の一部として話してくれるようになる。

こうやって段々と「先生と生徒」を卒業していったのだ。

今後、自分が「師」と仰ぐ人が現れたとしても、「子どもにとっての先生」のような気持ちになることは、難しいと思う。それだけ大事な時間を過ごしていたんだと気づくのも、大人になったからかもしれない。

そんな何も分かってない子どもから、怒鳴り散らされて反発されてばかりいて(ごめんなさい!!)、それでも今も、中学校時代と同じ呼び名で呼んでくれる先生は、本当に大人だったのだ。

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いつか繰り出してくれることを祈る。

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週明け、外科のM先生のところへ行く。

お肌の調子をととのえるには、夜更かしや乾燥は大敵だ。しかし、お彼岸だったので忙しく、ドーナツすらもまだ揚げていない(今から揚げる)。

M先生に会う前につやつや、ぷるぷるのお肌にならなくちゃ!
だったらドーナツは諦めろ…。

新しいことを始めるのは勇気が要るものだ。ドーナツを夜中に揚げることだって、初めは変態と思われたらどうしよう、と思っていた。

だけど大丈夫!

これがこの人のスタイル、と認知されれば、なんとかなるものだ。

M先生に、会えるのが楽しみ。今も鮮やかに残る「島根県行った」「何しに?」という会話のインパクト。これを超越する技をいつか、M先生が繰り出してくれることを祈る。

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批判されるレベルを超越するしかない

いい年をした女性の部屋に、ぬいぐるみが転がっているのは、可愛くない。むしろ気色悪い。・・・なんて、一昔前には言われたものだった。

「いい年」をいくつとするかは、置いておいて、自分が「持っているぬいぐるみを、いつか捨てなければいけないの?」と不安に思うに十分な言葉だった。

しかし、あるとき「批判されるレベルを超越するほど、たくさんのぬいぐるみを集めて、きちんと並べておけば大丈夫なんじゃないか!?」と思ったのだ。イソバイドの空き瓶だって、5本10本をためている間は、ごちゃごちゃ批判されたが、50本を超えたあたりから「この人はこういう人ね」と思われて、何も言われなくなったんだし、大丈夫!!

根拠のない「大丈夫!!」にしたがって、その後もぬいぐるみが増えたり、なんやかんやした。

一応、「置き方」にも工夫をしていて、たんすの上や本棚の上などのデッドスペースを「飾り棚」のように利用するようにしている。ぬいぐるみのイメージがあまりかけ離れたものを、隣同士に置かない、ということくらいは、気をつけているが、あとはあまり考えずに置くようにしている。

そのために、私の部屋には100体を超えるぬいぐるみが、たんすの上に「ぎっちり」と並んでいるわけだ。そう、批判されるレベルを超越するしかないのだ、こういうことは。

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「仙人」芥川龍之介

主人公は「仙人になる術を教えて欲しかったら、下男として数年働くように」という信じがたい条件に従って、主の家で働いている。
主人公が最後まで「仙人になれる」と信じる、その思いがあまりにも美しい。

私には「世にも奇妙な物語」で映像作品として公開されたものの印象が、強く残っている。

「俺をだましたやつを笑ってやる」「俺を笑ったやつを見返してやる」という気持ちはまるでなく、ただ願いがかない、晴れ晴れとした顔で去って行った主人公の神々しさ。

私にも「夢がかなった」「思いが現実になった」という経験がある。そのときは「信じていればかなう」といった「ポジティブシンキング」というものとは違い、ただ「私にはこれを可能とすることができる」と決めた瞬間がどこかにあったように思う。

「仙人になることができる」と決めていた主人公は、笑われようと、つらかろうと、「決めた」自分を信じたのだろう。

私の思いは、予想通りに現実になったものも、意外な形でかなったものもある。いずれの場合にも「もうすぐだ」というときに、「仙人」のラストシーン、彼をあやつっていたはずの人々を置き去りにして、自由な空へ歩いていく美しいシーンが思い浮かぶ。

今までのしがらみ、思い込み、つらさ、悲しさも、とらわれないで、そこにおいていこう。私を迎え入れてくれる空へ、飛び込んでいこう。

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メイド服ってすごくない?

コスプレ用ではなくて、本当に中世ヨーロッパの貴族の家とかで、メイドさんが着ていたメイド服について「何歳くらいの人にも、ある程度、似合うという服ではないだろうか?? だったらすごい万能服だ」ということに、気がついた。メイド服の中でも、最近コスプレ用に改造されたタイプのものは、若い人にしか似合わない。しかし、ヨーロッパの貴族が雇っているメイドさんは、若い人から中高年まで、あらゆる年齢の人がいたはずであり、ある程度誰にでも似合うっていうのは、すごいなぁ。

私は、かつてメイド服のようなものを着ている人に出会って驚いたことが、2回ある。

記念すべき一回目は、工事担任者(デジタル第三種)という試験を受験していたときだ。ふと外を見ると、白いウエディングドレス状のものを着た人が、風に吹かれながら歩いていたのだ。私はコスプレやゴスロリという言葉を、あまり知らなかったので、めちゃくちゃ驚いた。ちなみにデジタル第三種という区分は旧区分であり、現在はDD種とAI種というわけ方になっているようだ。

このことをきっかけに「こういう分野の服装があるのか・・・」と知った私だが・・・。

あるとき、某都会の地下街を歩いていたら、すごい服装で、すごい人数の集団にあって、驚いた。近くで誰か、有名なアーティストのコンサートがあったらしくて、遠くからきた人も多かったらしく、荷物をたくさん持っていた。今考えたら着替えとかも用意して、メイクの道具も持って、その上であの衣装を持って歩くのは、めっちゃ大変だったに違いない。

私はこのころに、ダンスを少し真面目にするようになっていて「衣装」というものが、大事なのではないか、と思うようになっていた。だから、一回目の「遭遇」よりは、二回目の「遭遇」のときのほうが、抵抗がなかった。

おそらく、彼女らの服装は「衣装」の一種であり、自分に自信を持つためとか、連帯感を持つためとか、何らかの意味を持つのではないか、そう思う。

中世ヨーロッパ貴族の家で、そろいのメイド服が支給されていたとしたら、連帯感、仲間意識、特定の主人に仕えるといった気持ちを共有することにも、役立っていたのだろうと思う。もちろん「外部の人間が見て、どの家の使用人か分かるように」「部外者が入り込んでいたら、すぐに気づくように」というようなことも、あるんだろうけれど。

メイド服。着てみたいな。

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