喘息の先生のところへいった。
喘息の薬(オノンカプセル、アレジオン)のほかに、婦人科のことで鎮痛剤の使用量が多く、手持ちのボルタレンSRが足りなくなったので、代わりのロキソニンを出していただくつもりだった。
待合室にいるとき、たまたま大きな音が聞こえた。今日は耳の調子が悪く、大きな音を聞いたとたんに「音の補充現象」が起こってしまう。音の補充現象とは、一定の音量までの音は聞こえづらく、一定の音量を超える音は、爆発的に響いて聞こえる現象のこと。今日の不意の音には、まったく注意をしていなかったので、耳に響いた音に驚き、脂汗が噴出して、動悸がして、パニック障害みたいになってしまう。
こういうとき、森田療法の観点からは「恐怖から逃げるのではなく、その恐怖を受け止められるようになる」のが理想かもしれない。しかし、そんな理想論を言っても、待合室でもっと迷惑をかけたら申し訳ないので、いったん院外へ。しばらくして院内に戻り、順番を待つ。
H先生は私の顔色を見た瞬間に「寒い?」と聞いてくれた。手が震え、脂汗を浮かべている私を見れば「寒いんかな?」と思いたくなるだろう。
「あの、寒いんじゃなくて、パニック障害になって、あの・・・えっと、何しにきたんやったっけ?」
「まぁ、大丈夫やから安心しぃ。で・・・なんか、パニックになる要因があった?」
「今日、耳の調子が悪かったんです。急に大きな音を聴いて音の補充現象が起こってしまって、耳栓とか安定剤もなにもなくて、すみませんでした」
「そんな風に、気にしなくていいよ。誰も責めてなんかいないから」
「ありがとうございます」
「で、今日はどうしたんかな?」
「あの、ロキソニンが婦人科のほうでいただいたのが、足りなくなってしまって、つなぎの分をいただけたらと思って」
「あぁ、なるほど。腹痛ってことね」
「はい」
「オノンカプセルとアレジオン、もう要るね」
「はい」
喘息手帳に外科のS先生と精神科のL先生のやり取りが書いてある。
S先生「よろしくお願いしますね」
L先生「何を(笑)?」
H先生は「確かに『何を』かわからんなぁ(笑)」と笑ってらした。いつかH先生にも何か書いてもらおう。
その話の流れで「電子レンジで酒を温めるのは、私もやる」とH先生は私を励ましてくれた。かつて外科のS先生から「私は深夜だろうとも、きちんと湯を沸かして温める!! ふゆうのような電子レンジで温めるようなのは邪道だ!!」と言われた。それから電子レンジで温めるたびに、「私は邪道だ・・・」とひねくれた気持ちになってたけど、付き合いの長いH先生に励ましてもらって、今度からは胸を張って温められそうに思う。
そうこうするうちに、パニック障害もとても楽になった。まだ呼吸は荒いけれど、もう脂汗は止まっていた。
喘息は、かかったばかりの数ヶ月は苦しいれど、適切な治療、投薬を受けて、自分でも勉強して喘息のことをよく知るようになれば、快適な日常を送ることができる。適切な治療を行わなければ、発作重積状態となり亡くなる方もいる、それは事実だけれど、そのリスクを理解していれば、共存することができる病気だ。
私は、成人してから喘息になった。あまりにも突然のことに驚いたのは事実だった。
そのとき、このブログを書き始めてからすでに数年が経過していた。ブログ上でパニック障害のこと、婦人科の病気のこと、メニエール病のこと、私が書き続けることで「怖い病気じゃないんだ」「共存している人がいるんだ」と誰かに思ってもらえれば。それだけを願ってきた。だからこそ「明るい調子で書く」ように心を配ったこともある。
喘息にかかったとき「ありのままを伝えることが、私の役割なんだろう」「神様が『あなたが伝えることは、まだまだあるよ』『もっと色々な経験をつみなさい』と言っているんだろう」と思った。
できればこれからも、楽しい喘息ライフを送っていきたい。そして喘息に苦しんでいる人、そのほかの病気にかかっている人、たった一人でもいいので「病気と一緒に生きていくことは、つらいことばかりじゃないよ」と、思ってくれる人がいたら、私はうれしい。
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