1日、精神科のL先生のところへ行った。事情で遅刻を許していただいたので、ともかく医院に飛び込んで「すみませんでしたっ!!」と頭を下げた。まだ「ぜいぜい」が治まらないうちに、L先生が呼んでくださった。
「忙しかったんでしょう? もう大丈夫ですか?」
「はい・・・ぜいぜい・・・ありがとうございます・・・ぜいぜい・・・」
「この2週間、調子はどうでしたか?」
「婦人科のホルモン剤を飲んでいたのですが、心因とかもあって不正出血が余計に起こってしまって、これ基礎体温表なんですけれど、すごい出血でしょう?」
「ほんとですね。体がだるいですか?」
「はい」
「眠れない、という日がありますね」
「はい、それもありました」
「では、デパスですが、どういう場面で使われましたか?」
悪魔のささやきが聞こえる・・・。
言ってみてぇ!!!
「もらった薬を全部、酒で一気飲みして、らりってました」って言ってみてぇぇえええ!!!してないよ。もちろん、そんなことしてませんが、そういうことを無償に言いたくなるときがあるんだ。理由なんかないんだ。ただ言ってみたい。
かつて外科のS先生が「(外科の薬を)一気飲みしてなんかあったら、精神科の(当時の担当の)N先生に『お宅の患者が挙動不審なので、うちでは面倒見れません』って連絡するでぇ」と言っていた。あれ以来、何かあると悪魔のささやきが・・・。
さて話は戻して。
「では、デパスですが、どういう場面で使われましたか?」
「何か待ち合わせや、電話を待つときなど、会ってしまったり、電話がかかってきたらもういいのですが『待つ』っていうのが長くなると不安が募ってきて」
「あぁ、なるほど。そういうときに使うんですね。その使い方でいいですよ」
「あの」
「はい」
「あの、婦人科のT先生から『当面、心因性って言葉を使うな(笑)』みたいに言われたんですけど」
「ははははは。もしもね、器質的な疾患があった場合に、危険なことがあるんですよ。初めから心因性って決め付けてるとね」
「はい」
「婦人科のT先生はそういう意味もあって言われたと思うんですよ」
前にT先生が「心因性って言葉を便利に使う」っていうことについて、話してくれた。
私自身、そういうところがある。
悲しいことだが、身体のことでぼろくそに言われた経験があって、たとえば「欠陥品は欠陥品なりの人生しかない」「将来絶望だね」なんて言葉、思い出すだけで心が冷たくなる。
同時にこの言葉を利用してしまっている。
「私は身体的に病気で、ひどいことを言われたから、だから対人恐怖症になっても仕方がない」
「人に近づけば、迷惑になるだけだから、仲良くなりたい人がいても、近づかないほうがいい」
こうやって、自分の対人恐怖感を正当化してる。
逆に体がつらいときや急に症状が出て苦しいとき。
「私は精神的に問題があるから、こういう症状が出るけど、心の持ち方さえ変わればきっとよくなる」
そうやって、強引に将来の希望を持とうとしてしまう。
一般的に言う「疾病利得」の概念からは外れるのかもしれないけど、病気を利用してしまっている点では、疾病利得ってことに近いのかもしれない。
今度L先生に時間がありそうだったら、そんなことを告白してみよう。あぁ、でも次の診察って、精神的に嵐が吹き荒れている日なんだよなぁ多分・・・。
今月から新しい喘息手帳に記入し始める。L先生が、私の喘息手帳に素敵な言葉を書いてくださった。私は予約時間に遅れたのに、その事情を肯定的に受け止める言葉を、書いてくださった。この言葉を大切に、またがんばっていこう。
今日はリスミー、ハルシオン、デパスをいただいて、帰宅する。
ありがとうございました。ぺこり。
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