もう、数年前のことになる。私はある女性との関係に悩んだ。陰口のような形で「彼女はそういう人だから」と笑っている周囲の人のことも、私には耐えがたくなってきた。
その悩みを解決するには、彼女のしたことを「これは不快だ」と正面から指摘するか、あるいは気づかなかったことにして一切口に出さないか、どちらかだと思った。私は「彼女は、指摘すればきちんとできる人だと信じているから、私から言ってみることにする」と宣言し、彼女としっかり話し合うことにした。
2ヶ月が経ったとき、私は「彼女との関係は続けられない」という結論を出した。自分の抱いていた「彼女を信じる気持ち」はたった2ヶ月で崩壊するほどのものだったのだと、思い知らされた。偶然、それと同じ時期に携帯番号やメールアドレスも変更することとなったので、彼女にも、彼女を笑っていた周囲の人にも、ほとんど知らせなかった。
私には人を見る目がなかった。
その言葉だけが、自分の中に深く深く刻み込まれた。私は結果的には、2ヶ月間にわたって彼女に嫌な思いをさせただけ、周囲の人にムダに我慢をさせただけではなかったのか? その思いが今もある。彼女も自分の気づいていなかった、取り返しのつかない種類のことをどんどん指摘されて、つらかったのではないかと思う。
「いじめ」の一環として、生まれつきの肉体的な特徴をひどい言葉でののしることや、一度や二度の失敗をしつこく笑う、ということが行われる。そういう「初めからいじめ目的」の言葉とは違うけれど、彼女が受け止め切れないほど、たくさんのことを一気に指摘し続けることは「いじめ」に近かったのではないか、と今も後悔がある。
今、別の女性に対して、同じような気持ちを抱いている。
ほんの数週間前まで、メールや電話も着信拒否の設定にしていたし、万が一手紙でも届いたら受取拒否をしていたかもしれない、くらいの勢いでその女性を拒絶していた。
今、私はその女性に「あなたが○○をしたから、もう付き合えない」と言うことが、いじめに近いようなことに思えている。○○が取り返しのつかない種類のことで、また彼女は「指摘されれば、そうかと気づく」という人だと思うから。
「彼女が自分のしていたことに気づいて、ショックを受ける」ということがわかっていて、○○を指摘するというのは、いじめに近くないだろうか?
○○を指摘することで、また今度も、数ヶ月彼女を振り回して「やっぱり付き合えない」というい結論を出してしまうかもしれない。そうなったら私は、彼女を傷つけるためだけに、○○を指摘したことになってしまう。
数年前の彼女には、いつも自信たっぷりで「彼女は気づいてくれる」と思い、そして「彼女とはもうだめだ」と思った。今はそんなに自信たっぷりだった自分が、なんだか可笑しくなってしまう。
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