10代、20代のころに、やってしまいがちな失敗として、「第一印象、初めに受けたイメージを、相手がずーっと保ち続けてくれる」という期待を、相手に寄せてしまう、ということがある。「逞しい人」だというイメージがあると、それをずーっと保ち続けてくれることを、いつの間にか期待してしまうということ。他の印象が出てきたときに、自分のイメージを修正するのではなく、「今日は相手が変なんだ」と思ってしまう。現実の相手を見ずに、自分の中のイメージと、対面しているだけなんだと思う。
最近、一条ゆかり氏の「プライド」でも、主人公がそうした自分の「相手を見ていない」という点が、重要なテーマだった時期がある。また、少し古い話になるが、槇村さとる氏の短編「棘のない薔薇」なんかは、その話をテーマとしている。
自分が最近思うことは、「仕事に感情を持ち込む」という点をどう考えるのかが、変わってきているとういこと。先日、「泣く男」の特集が雑誌で組まれたりして、仕事の場で「泣く」ということが、肯定されつつある、という話がある。先日も、ABCラジオ「全力投球!妹尾和夫です」で、この話が取り上げられていた。
さて、仕事の場に感情を持ち込むということは、「上司と部下の恋愛」「クライアントと自分の恋愛」という形があると、起こるかもしれない。私はこれらの恋愛がいけないとは、思わない。ただ、女性の側が若いと「どんなときにも、私にだけは特別な扱いをして!!!!」という要求をだしがちだ。
また、逆に、女性の側が「私は感情を持ち込まない」という態度をすると「冷たい」「お堅い」として、男性にがっかりされるという場合もある。そんなとき女性の側が「あなたは、恋愛と仕事をはっきり分けられる『大人の男性』だと思っていた」という第一印象を、ずーっと要求し続けると、男性は疲れてしまう。このようなとき、おそらく男性が言っているのは、恋愛感情を仕事の場にもちこんで「いい」「わるい」ではなく、そうした「第一印象をずーっと要求される」ことへの、不満なのだろう。
完全なる二役を要求される彼と、完全なる二役を当然だと思っている彼女とは、根本的に合わなくなっていくものかもしれない。
私はかつて、ある友人男性から、「俺と付き合いを続けるか、それともBさんと付き合うか、選べ」といわれたことがある。私は、Bさんと付き合うことが、仕事の一環でもあったし、そうしたきつい言い方をされることにびっくりして、友人男性との付き合いをやめたことがある。単純に考えて、彼は、私とBさんの付き合いに、なんらかの嫉妬をしていたのかもしれないし、私が友人男性を放っておいて、新しい友人Bさんに夢中になっているように感じたのかもしれない。
この場合にも「仕事の場に感情を持ち込まない」と考えている私と、何らかの理由で私に八つ当たりしたかった友人男性とは、この出来事がなくても、合わなくなったかもしれない。しかし、私の側がクールに物事を進めようとして、彼の「一瞬の気の緩み」も許さなかった点は、私が反省すべきところだと思っている。彼に対して「そんなことを言わない、大人の男性」というイメージを、ずーっと要求している私に、反省すべき点がおおいにあったと思うのだ。
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