とても尊敬できる男性がいる。時折「私が男性だったらよかったのに」と思う。
「男性だったらよかった」の意味は3つある。
1つは「その人に少しでも近づきたい」という気持ち。憧れる人、尊敬する人と、同じ髪型にしたい、服装、持ち物などを同じにしたい、という気持ちが強くなったもの。これが、8割をしめる。
2つ目は、その男性のご家族が、不快な思いをしないように、ということ。
不倫とかで盛り上がる人の中に「家族を捨てて私のもとに来てくれることが、愛情の証」など、言う人もいる。しかし日本の制度上、それを要求することは、男性にとって大事なものをすべて「捨てさせる」ということ。つまり、自分のわがままに過ぎない。
その男性が大事だったら、その男性にとって大事なものを、私が邪魔してはいけないと思う。
たとえ、私が男性であっても、侵入してはいけない領域はあるだろうけれど、女性であるからこそ、より早い時点で「引くべき」だと思ってしまう。
そういうことが少なくなればいいのに、という意味で「男性だったらよかった」と思う。
最後の1つは、私自身に関わること。私は子宮・卵巣・乳房などに病気・人とは違うところがある。
このことに理解がある人・ない人、偏見がある人・ない人の違いは非常に大きい。また、偏った知識を正しいと信じ込んでいる人もいる。「知識がある=理解がある、偏見がない」ということにはならなく「知識があっても理解はない」という人も多数いる。同じ女性から、ひどい言葉を言われた経験も多々あるし、とんでもない誤解を受けていたこともある。
私が尊敬できると思う人は、知識も理解もあって、偏見はないという人だと思う。その人が「病気というのは、髪の色や目の色や、顔つきなどが一人一人違うようなもの」として、淡々と接してくれるたびに「他の人にはどう罵倒されてもかまわないけれど、この人に何の心配もかけなくてよい存在になりたいなぁ」と思う。
私の場合はそれが「男性になりたいな(子宮や卵巣や乳房の心配をする確率が、女性に比べて低いから)」という気持ちなのだろう。
実は昨日、このブログのシステムが不調で、ブログを更新できなかった。普段よくメールをする人に「男性になりたい、と時折思う」という気持ちや、この記事の「1つ目の理由」として書いた気持ちなどを、短文のメールで送った(そんなことに付き合わせてごめんなさい)。
すると絶妙の返事が来た。この人にも私は、一生「敵わない」んだろうな、と改めて思った。
【引用始まり】 ---
青春ですな
【引用終わり】 ---
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