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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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「あな怖」「実怖」「ほん怖」を買った。

今日、「あな怖」「実怖」「ほん怖」を買った。

「あな怖」心霊写真館・ケース1の写真は、霊がどうというより、何の目的でこの写真を撮ったのか、何でこんな角度なのかを知りたい。

「あな怖」は、「怨みの消えない自殺霊」がテーマだった。私が、とある人間関係のトラブル(性的なことを含むので割愛)に巻き込まれて悩んでいたとき、死んで「やる!!」という強い決意ではなく、「消えてしまいたい」「水分が蒸発するかのように、私も空気に溶けてしまいたい」と思ったことがある。

しかし、そんな私が自殺を本当に「いけない」と思ったのは、とある、非常に様々な相談に乗ってくれた方から「他の何を言っても、やっても許せるが、死んだら絶対に許さない。それこそ殺してやるから」と、怒られたとき。

今も自分は「他の何をやっても自分を許せるが、その人に恥ずかしいことだけは、しない」という思いがある。

さて「あな怖」には林成敏先生のお話もあった!!
http://neverfeel.accela.jp/

全体として「先祖がやったことは、自分に関係ないと思う気持ちはわかるが、それでも自分の先祖だということは、変えられない」「逆に自分が、子孫にそのような因縁を残さないようにしよう」というお話が多かったと思う。

さて次は「実怖」にしようかな? 「ほん怖」にしようかな?

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7年ぶりの痛みに感謝

外科のM先生のところへ行・・・く前に。

お腹の激しい痛さと月経(月経様出血)に見舞われて、びっくりした。ホルモン剤を使わなくても出血させる力が、自分の身体にはあることに、感謝する。また、同時に「あまりにも痛みが強いと、T先生や自分が望んでいる状態にならないかな」とも思った。「望んでいる状態」とは、ホルモン剤を使う必要がなく、鎮痛剤の注射もしなくて良い(内服程度で済む)状態だ。

まぁ、今日は天気もいいし、多少、洗濯物が増えてもかまわない。

そしてM先生のところへ行く。M先生は、さわやかだったので、とても嬉しかった。そして、いきなりわがままを言った。

「先生、めっちゃお腹いたいねん。痛み止め打って欲しいの」
「どうしたかなぁ?」
「ホルモン剤を飲まないのが7年ぶりなので、自分でもベストな方法が分からない。痛みの程度が強いってだけで、状況が悪化しているのとは違うと思うけど」
「打つのは、打ったげるけど、今までどの系統を打ってたんかな???」
「ソセゴンかブスコパン」
「ほおぉ、ソセゴンは依存性が出るから、ブスコパンにしとこ」

触診をしてくれた。
「私が押さえたところが痛いかどうか、それとも押したから痛いというわけではなく、ずっと痛いかどうか、答えられる?」
「押したから痛いってわけじゃないです」
「そうか・・・、下腹が痛い?? 腹鳴(お腹がごろごろ鳴る)はある?」
「腹鳴は一日中あるんじゃなくて、夜、寝る前に力が抜けてるときにあるけど、今はないです」

ブスコパンを打ってもらうことになった。M先生はオーダリングシステムと格闘していた。
「ごめんね、先生、わがまま言って」
「いや、いいよ。そんなん気にせんでいいよ」

M先生、今日もありがとう。ずいぶん楽になりました。ぺこり。お礼を言って帰宅する。痛くて汗をいっぱいかいたし、顔も紅潮しているのが分かった。でも今は、ずいぶん楽になった。ありがとうございました。

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いつか卒業のときがくる。

中学校時代の先生が、電話をかけてくれた。今も中学校のときと同じ呼び名で呼んでくれる。用事そのものは滞りなく済んだ。

「こうして話してると、あぁ、大人なんやなぁと思う」

私は「子ども」ではないけれども、先生と話していると「先生と生徒」という立場に、一気に戻った感じがする。それでも今は、先生じゃないし、生徒じゃない。

生徒にとって先生は、目上の人であり、強くて、正しくて、生徒を思うという「大人」であった。

しかし、いつからか「強くて、正しくて、生徒を思う」ということが、いかに大変であったか、生徒の「理想」をある程度満たしてくれる「先生」という存在が、いかに大変な立場であったか、分かるようになる。長く付き合うにつれて、先生が「仕事のこと」を、上から下へ教える感じではなく、会話の一部として話してくれるようになる。

こうやって段々と「先生と生徒」を卒業していったのだ。

今後、自分が「師」と仰ぐ人が現れたとしても、「子どもにとっての先生」のような気持ちになることは、難しいと思う。それだけ大事な時間を過ごしていたんだと気づくのも、大人になったからかもしれない。

そんな何も分かってない子どもから、怒鳴り散らされて反発されてばかりいて(ごめんなさい!!)、それでも今も、中学校時代と同じ呼び名で呼んでくれる先生は、本当に大人だったのだ。

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いつか繰り出してくれることを祈る。

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週明け、外科のM先生のところへ行く。

お肌の調子をととのえるには、夜更かしや乾燥は大敵だ。しかし、お彼岸だったので忙しく、ドーナツすらもまだ揚げていない(今から揚げる)。

M先生に会う前につやつや、ぷるぷるのお肌にならなくちゃ!
だったらドーナツは諦めろ…。

新しいことを始めるのは勇気が要るものだ。ドーナツを夜中に揚げることだって、初めは変態と思われたらどうしよう、と思っていた。

だけど大丈夫!

これがこの人のスタイル、と認知されれば、なんとかなるものだ。

M先生に、会えるのが楽しみ。今も鮮やかに残る「島根県行った」「何しに?」という会話のインパクト。これを超越する技をいつか、M先生が繰り出してくれることを祈る。

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批判されるレベルを超越するしかない

いい年をした女性の部屋に、ぬいぐるみが転がっているのは、可愛くない。むしろ気色悪い。・・・なんて、一昔前には言われたものだった。

「いい年」をいくつとするかは、置いておいて、自分が「持っているぬいぐるみを、いつか捨てなければいけないの?」と不安に思うに十分な言葉だった。

しかし、あるとき「批判されるレベルを超越するほど、たくさんのぬいぐるみを集めて、きちんと並べておけば大丈夫なんじゃないか!?」と思ったのだ。イソバイドの空き瓶だって、5本10本をためている間は、ごちゃごちゃ批判されたが、50本を超えたあたりから「この人はこういう人ね」と思われて、何も言われなくなったんだし、大丈夫!!

根拠のない「大丈夫!!」にしたがって、その後もぬいぐるみが増えたり、なんやかんやした。

一応、「置き方」にも工夫をしていて、たんすの上や本棚の上などのデッドスペースを「飾り棚」のように利用するようにしている。ぬいぐるみのイメージがあまりかけ離れたものを、隣同士に置かない、ということくらいは、気をつけているが、あとはあまり考えずに置くようにしている。

そのために、私の部屋には100体を超えるぬいぐるみが、たんすの上に「ぎっちり」と並んでいるわけだ。そう、批判されるレベルを超越するしかないのだ、こういうことは。

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