精神科のL先生のところへ行った。早く医院についてしまったので、外来の片隅の目立たないスポットで本を読んでいる。
「ふゆうさん!!」
「あ、す、すいません」
「大丈夫、慌てなくていいですからね」
書き綴った文章を渡す。内容を要約すると「『自分はろくでもないんだから』と心の中で唱えることで、怒りや悲しみの感情が楽になるように思うんだけど、その何がいけないのかわからない」ということ。
「『ろくでもない』って言葉は、僕もひどいと思いますよ」
「・・・」
「それで、気持ちを抑えてきたけど・・・だんだん、しんどくなってきた?」
「・・・うん、そう」
「うーん、しんどなって、、、くるやろなぁ。。。」
「ただ、代わりにどうしたらいいのか、っていうのが、わからないんですよ。それと同じくらい、落ち着く言葉、やり方とかがあるのかっていうと・・・」
「僕から見て、『ろくでもない』なんてことはない部分、言い方が難しいけど、そういう、ふゆうさんの『いいところ』って、あると思うんですよ」
「・・・」
実は、もうひとつの出来事を、文章にしていた。それは「強いと思っていた人の『私もいつもいつも、強いわけではない』という姿を目の当たりにした」という内容だった。
「もしホンマに、ふゆうさんを『ろくでもないやつや』と思ってるんやったら、この人がこんな風に、ふゆうさんに接することはなかったと思うんですよね」
「・・・はい」
「『ろくでもない』と思ってる人に、こういう大事なことは頼まないんですよ。ふゆうさんだったら、頼みますか?」
「・・・た、たのまない・・・かも・・・」
「ですよね。それは、ふゆうさんの『いいところ』を認めて、頼まれてると思うんですよ」
「ありがとうございます」
「僕もね、この方と同じで『いつも、100パーセント絶対に、正解を出せる』ってわけじゃないですけどね。でも、僕の答としては『ふゆうさんは、いいところを持ってる』ということになりますね」
「ありがとうございます」
ゴスペルソング「聖者の行進」に次のような一節がある。この歌は歌詞のバリエーションがとても多いそうなので、違うバージョンもあることだろう。
Some say this world of trouble,
Is the only one we need,
But I'm waiting for that morning,
When the new world is revealed.
意味合いとしては「問題の多い『この世』というものも、私たちに必要なものだといいます。しかし、新しい世界が始まるその朝を、私は待ち続けているのです」といったことだろう。
自分もどこかで、そう信じているのかなぁ???
いつか、違う考え方ができるようになる、そういう日が来ると、信じていいのかなぁ???
私は、修行を積んだ聖者じゃなくて、悪いところもいっぱいある生者だから。たぶん聖者のようにまっすぐには進んでいけなくて、こうやってよたよた、ふらふらしながら、やっていくしかないんだろうな。
「ふゆうさんは、気分の波みたいなものが周期的にくるとか、そういうことはありませんか?」
「気分・・・」
「いいときと、悪いときが、周期的にやってくるような」
「・・・あんまりない。体調の波にもよりますけど」
「なるほど」
私が知っていることは限られているけれど、N先生やL先生と話した内容を思い出してみる。
双極性障害(躁うつ病)の気分の変調というのは、数週間とか数ヶ月という単位で気分が変調するそうだ。気分が変調するだけならば「個人的な問題だから、別に良いのでは?」と思われるかもしれないが、とんでもない。
たとえば、双極性障害の「躁状態」のときには、他人と衝突しやすくなったり、他人に迷惑をかけるほどの長電話、頻回の電話をかけて、最悪の場合は人間関係が壊れる。夫婦関係の破綻、場合によっては離婚にいたってしまうこともある。
また、クレジットカードの限度額一杯に買い物をしても、買い物欲がとまらなくて、すごい大量のカードを作ってしまったりする人もいる。
そのことを「うつ状態」のときに、それこそ「死ぬほど後悔する」っていうこともあるのだ。
だからこそ、躁うつ病の気分変調に対しては薬物療法が必要だし、再発の兆候を患者自身が観察することが必要(なのだそうだ)。
これに対し、境界性パーソナリティ障害などにみられる気分の変調は「朝と夕方で言うことが違う」「昨日と今日で言うことが違う」というレベル。さらに「昨日、黒といったことを、今日は白という。しかも昨日言ったことを、忘れているようだ」くらいの、すごい勢いで気分が乱高下する。
たとえば「上司が思いつきでものを言うので、困る」というレベルのことだったら、部下が「いい加減な人」と思っておけばすむ。
しかし、精神科での治療を要するレベルの境界性パーソナリティ障害を抱えている人は、たいていの場合、自傷他害の行為を伴ったり、転換性障害なども抱えていたりするので、「個人の気分の問題だから・・・」ではすまない事態となる(のだそうだ)。
で、このような気分の変調がひどくなり、生活に支障をきたすレベルになると、リーマス、デパケン、テグレトールなどの気分安定薬を使用しながら、カウンセリングも受けていくことで、自分の状態を安定させることができる(のだそうだ)。
・・・(のだそうだ)ばっかりですね。
私は仕事で、お金の話題を書くことが多いのだが、その関連で聞いた話だと「躁状態のときお金を使いすぎて、うつ状態になって、その事態を解決できない。あるいは家族に解決を任せてしまい、あきれられる」などの悩みが生じる人もいる。できれば、クレジットカードなどを本人に持たせないことが大事なのだけれど、躁状態のときには、恐ろしいほど知恵が働いて、どんどんカードを作ってしまうという人、家計のお金を使い果たしてしまう人もいる。
そのときはいいが、お金の問題というのは、後で後悔しても、取り返しがつかないことが多い。うつ状態となったときに「そのことを、死ぬほど後悔する」っていうことがないように、お金の管理だけはしっかりしたほうがいい、と思う。
話がそれていきそうだ。。。
「ところで、僕のラグビーのポジションですけどね」
「はい(目がキラキラ)!!」
「あの、僕、今よりだいぶ体重があったんですよ」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。M先生がウイングじゃないかなぁっておっしゃったのは、今の写真を見られたからだと、思うんですけど」
「そうですね」
「僕、フランカーっていうポジションやったんですよ」
「フランカー・・・フォワードのほう?」
「そうそう。スクラムを組むときに、両端にいるんですけど」
「意外」
「そうですね、今の姿しか知らない人は、意外でしょうね」
信じられない。。。高見沢になりたくないのも、わかる気がする。。。
「L先生、一個お願いが・・・」
「はい」
「『処方せん』っていうハンコを押して欲しい」
「・・・どこに?」
「このへん」
「押してどうするんですか(笑)」
「押して欲しかったの!!」
↓↓↓わーい!!
今日は、デパス、リスミー、ハルシオンをいただいて帰宅する。
「見て見て見て!! 押してもらったの!!」
「そんなん、押してもらって、どうすんの(笑)」
「へへへへ」
「これとかも、一文字いくらで作ってもらうから、結構高いんよね」
「そうよね。私も、あると便利やろなって思う、定型句みたいなんがあるねんけど、結局、住所氏名の書いたやつしか、持ってないねん」
ありがとうございました。ぺこり。
大雨のなか歩いていると、時と場合を考えない大声で「ふゆうちゃあぁああああん」と呼びかけられる。Xさんがコーヒー一杯をご馳走してくれる。Xさんの「カレーの炊き方」「明日の過ごし方」の話を聞かされる。コーヒーありがとう。
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