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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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筋肉と関節と自分との「静かな会話」

ここしばらく、大した筋トレができなかった。そのために、腰から太ももにかけて、なんだか緩んだ感じ。余計な力が入ったり、逆に力が入るべきところに入らなかったりする。股関節の柔軟性もずいぶんと落ちている。

それでゆっくりと、筋肉をほぐしはじめた。少しずつ筋肉を温めて、少しずつ筋肉に負荷をかけて、縮んで固まって眠ってしまった筋肉を起こしていった。

筋肉を増やしたからといって、誰に褒めてもらえるというわけじゃない。縮んでいた筋肉を、伸ばせるようになったからといって、誰に褒めてもらえるわけじゃない。

それでも、筋肉と関節と自分との「静かな会話」を楽しみたいと思う。思ってしまう。

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「再び心を開くことは、すごく難しい」という点を心しておくべきだろう。

私は、自宅で仕事をしているので、誰にも(家族にすら)会わないで、1日が終わってしまうこともある。その一方で、次々と人に会うという日もあるのだけど。

それとは別に、私は体調が悪くなったり、心が疲れたりしたときに、自分の内側に引きこもる状態になることがある。誰に対しても心を開けなくなる。

心というのが何を感じていようとも、たとえ「誰とも会いたくない」と思っていようとも、表面上はそんな様子を見せずに、人と会ったり、話したりする、ということはできる。それがある程度、社会人としてのマナーでもある。

でも実際に、心身ともに疲れ果てて「動けない」となったことも、私はある。その経験から思うのは、「一度、引きこもりの状態を経験してしまうと、再び外に出ることが、めちゃくちゃ難しい」ということ。

身体の病気だけではなく、心のことで表に出られなくなる人もいるだろう。高齢の方で、転倒したりすることを心配して、引きこもりの状態にある人も、私の周りにもいたので、実際にたくさんいると思う。

「引きこもりの状態でも、なんとかやっていける」と一度思ってしまうと、本当に抜け出すことが難しいと思う。これは、心の病があるかどうかに関係がなく、「独りでいることが、心地よくなってしまう」という事だと思う。

実際、私も「家から出ないという意味での引きこもり」とは少し違うけれど「誰にも心を開かない」ということが定着してしまうと、次に再び「心を開く」ということが、めちゃくちゃ難しかった。なぜならば「心を閉ざしていれば、寂しいが、傷つくこともない」から、その状態を気に入ってしまうのだ。

私はとてもつらいことがあって、心を開けなくなったけれど、再び心を開くきっかけとなったのも、やっぱり「つらいこと」だった。マイナスとマイナスを掛け算すればプラス、みたいな感じ。

私の場合には、仕事柄、引きこもりがちな私を心配して、無理やりにでも外に引っ張り出そう、としてくれるお医者さんとかがいる。精神科の先生じゃなくて、他のお医者さんも、その点に気を配ってくれる。たとえば、もしも相当具合が悪くても「引きこもっているほうが楽だから」と病院にも行かない、という事態になると、お医者さんにも助けようがない。

私は、引きこもりという状態が、いつもいつも悪いとは限らないと思う。本当に、心を癒す時間が必要な場合もあるから。

ただ、引きこもりの怖いところは、その状態を脱しにくくなることなのだろうとも思う。それに、次に何事かつらいことがあったとき、再び心を閉ざしそうになる、ということ。引きこもりという状態に簡単に戻りそうになるところ。

私も弱い人間だし、誰にも会わないという日、自宅から出ない日もあるので、自分が引きこもりがちで、心を閉ざしがちなことには、注意をしておこうと思う。

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楽しさ、居心地のよさが、逆に自分を縛るようになる

槇村さとる氏の「DoDaDancin'」を、久しぶりに読みたくなった。多分、自分自身の「どうしたいのか、どうして欲しいのか、言えない、分からない、どうせダメだと思ってしまう」状態に、自分でもイラついているからだと思う。

Do Da Dancin’! 1 (1) (YOUNG YOUコミックス)の画像 Do Da Dancin’! 1 (1) (YOUNG YOUコミックス) 槇村 さとる

ところで、実は、私はかつて向坂桂子氏の「アメリカ」を読んでいたときに「?」となったところがある。

アメリカ (講談社コミックスアミ)の画像 アメリカ (講談社コミックスアミ) 向坂 桂子

それは、ギタリスト志望の青年が、アイドルとしてスカウトされたのだけれど、「自分の希望とは違う」ということや、今住んでいるところを離れなければならないことなど、考えた末に「東京へ行く」という決意をするところ。

そのときに「ここに居ることは楽しいけど、逆に楽しさが自分を縛ってしまっている」という風に考えた、と話していた。

「DoDaDancin'」の文庫版の2巻の終わりごろで、主人公が慣れ親しんだバレエ団を退団すること、つまり「フリーのダンサーになります!!」と決意するところで、似たようなことが言われている。それは「慣れていて、居心地のいい環境(現在のバレエ団)が、自分を縛るものとなってしまっている」ということ。

「アメリカ」を読んだときには、私も色々な意味で経験が浅かったので「楽しさ、居心地のよさが、逆に自分を縛るようになる」ということが、よく分かってなかった。今は少しは、分かるような気がする。「楽しさ、居心地のよさ」からぬけ出せなくなってしまうことや、技術的に改善の余地があっても「もう、この程度でいいや」と思ってしまったり。

さて、そういう時に「まいあ(有吉京子氏)」の3巻が出たことを知った。これが丁度「まいあの自発性の足りなさ」とうい点にスポットを当てているストーリー展開で、なかなか興味深かった。

まいあ Maia SWAN actII3の画像 まいあ Maia SWAN actII3 有吉 京子

話は戻って「アメリカ(向坂桂子氏)」は、実は「今になって思えば分かる」という点が、ものすごくある。特に「本当の友人だったら、耳ざわりの良いことをいって迎合するのではなく、多少の衝突・喧嘩があってでも、相手のためになることを言う」とか「本当に叶えたい夢があるなら、自分の理想どおりの道のりでなくても、なんとしでも近づく方法を模索するほうがいい」という風なメッセージとかは、今になってみれば「アメリカ」のストーリーにこめられていたのだと、分かる。これらのことは、また、改めて考えてみたい、と思う。

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「人間はなんで死ぬのかなぁ?」

昨年8月、母方の祖母がこの世から旅立つのを、見送りました。祖母は熱心な天理教の信者でありました。その教えにのっとるならば、「祖母は出直しました」と言うのが、祖母の気持ちに沿う言葉であろうと思います。

母方の祖母の出直しについて
 → http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu/story/?story_id=1765380

さて、私にはもう一人の祖母がおります。父方の祖母です。これは完全なる偶然だと聞いておりますが、父方の祖母も天理教の信者(所属の大教会は別)であります。

父方の祖母にも、出直しのときが迫っていると、宣告されました。先日より、モルヒネを使用することとなりました。今はもう祖母を呼んでも、返事は返ってきません。モニター類の示す波形も、だんだんと周期が長くなっているのだそうです。


数日前、祖母は叔母に「人間はなんで死ぬのかなぁ?」と聞いたそうです。祖母は認知症も進んでおりましたし、先月軽い脳梗塞も起こしておりました。しかし、ほんの数日間だけ、意識が正常になったことがあり、そのときに叔母に「なんで死ぬの?」と言ったのだそうです。

叔母は思わず答えに詰まったと話していました。

そのとき、たまたま居合わせた天理教の先生が、「○○さんも、△△さんも、あの世に行ったらちゃんといてるから、何にも心配せんでえぇよ。さびしくない」と明るく言い聞かせてくれたのだそうです。


幼い子どもが、「人間はなんで死ぬのかなぁ?」と疑問を持つことが、あります。
また、大人になっても「なんで死ぬのかなぁ?」と考えることがあります。

でも、祖母の問いかけは、それと同じ言葉なのに、何倍もの重たさをもって、私たちに迫ってきた感じがします。


二人の祖母は、生き方も、人との接し方も、そのほかいろんなことも、まったく対照的な二人だと、私は感じておりました。それゆえに、多少の衝突もあったようですが。。。

ただ、二人の祖母が最後のメッセージとして残してくれたことが、おぼろげながら分かるように思います。これは私の思い込みなのかもしれませんが。。。

「人は、死ぬと分かっているからこそ、一生懸命生きることができる」

私には「これで最後になるかもしれない」と思ったら、一生懸命取り組むことができますが、「次があるかもしれない」と思ったら、手を抜いてしまうというところがあります。

そんな私でも、もしも「明日で、あなたの寿命はおしまい」といわれたら、一瞬一瞬を一生懸命に生きようとするだろうと思います。

「なんで?」の答えにはなっていないかもしれませんが、それでも二人の祖母のメッセージの一つだと思っています。


天理教では「死」を「出直し」と表現します。ある「命」にとって、死ぬということは、次の新しい「生」へと向かってやり直せるためのチャンスだ、と考えるのです。だからむやみに悲しみ、悲嘆にくれるのではなく、故人が安心して旅立てるように、見送りましょう。そんな風に教えられたことがあります。

とはいっても、残されるほうは悲しいものです。さびしいものです。

もうすぐ、手の届かないところへ行ってしまう。
その言葉がずっと、胸の中に何か、冷たい塊として解けずに存在するように思います。


天理教では、死に装束として「おつとめ着」をつけさせることになります。黒の紋付です。
母方の祖母に着せた紋付は、祖母自身が何年も着続け、おつとめに立ち続けてきたものでした。
父方の祖母にもやはり、祖母自身が何年も、それを着ておつとめに立ち続けたものを、着せることになるでしょう。


これから先、私のできることは、「何があっても、二人の祖母のことを忘れない」ということでしょう。時には腹の立つ思い出も浮かびますが、それすらもとても大切な思い出として、ずっと大切にしていきます。

二人の祖母の、波乱の多かった人生。それを立派に生き抜いた二人の祖母のことを、ずっとずっと心に刻み付けて、生きていこうと、そう思います。 

最後まで、いい孫になれなくて、ごめんなさい。

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たくさんの太陽に囲まれて、生きてます。

「みんな一生、修行中。」の記事に補足をいたします。
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu/story/?story_id=1814801
【引用始まり】 ---
「僕が思うにさ、ふゆうさんは、神経細いよ」
「細い」
「神経細いと思うよ。だから、受け止め切れんこともあるんやろ」
【引用終わり】 ---

【補足1】
上記の会話において「神経細い」というのは、解剖学的、医学的に「特定の神経が、他人と比べて細い」という意味ではありません。
つまり「心理面」というか「感性」というか、そういうことを差す言葉でした。

たまたま、最近の治療計画で自律神経調整剤などの話題が出ていたので、少し話が混乱したようです。

偶然ですが、Yahoo!知恵袋さんで、自律神経について「治療をして神経を太くすることができるの?」というような質問がありました。参考になるかと思いますので、URLを掲載しておきます。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127052277
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q149973254

【補足2】
いきなり「神経細い」という会話が始まったかのように書いてありますが、一部省略した内容があります。その内容は、下記の記事で既に書いておりますことと重なりますので、省略いたしました。

こんなにも欠けている私を愛して欲しい
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu/story/?story_id=1812604
【引用始まり】 ---
そして、私の場合、最も大変な荷物として心に残っているのは「私はこんなにも欠けている存在なのだ」という思い。多分、もっと私が年齢がいって、いい意味での図太さとかを身につけていたら、人の言葉をいちいちまともに受け止めてしまうことなど、なくなっていただろう。でも、自分はそれができない。

祖母の言葉、親戚の言葉、親の言葉、友達の言葉、全部が「お前は欠点だらけの存在だ」と言っているように感じる。
【引用終わり】 ---

【補足3】
私自身「神経細い」という言葉を、普段から使い慣れていましたが、厳密に「どういう意味か」と考えたことがありませんでした。このたび、このような機会を与えていただき、ありがとうございました。


私たちにとって、お医者さんという存在は、太陽のように患者を照らしてくれる、ありがたい方々です。

この記事に登場する婦人科のT先生は、暖かくて、優しくて、包容力があって、ちょうど「北風と太陽」に出てくる太陽のような人です。私は頑なだった心をだんだんと、開いていくことができました。婦人科の先生なのですが、「ふゆうにはカウンセリングとかが必要や」と気にかけてくれます。

さて同じ太陽であっても、真夏の灼熱の太陽という感じの方もいます。それは、外科のM先生とS先生。エネルギーをばーんと放出している感じ。こちらも強いエネルギーを持って、ばーんと跳ね返すくらいの勢いがあると、本当に楽しく時間を過ごせます。

精神科の先生もそれに近いけど、どちらかというと「どんなにつらいことがあっても、朝になれば太陽が昇る」といったことを考えるときの太陽に近いかと思います。サバンナなどの雄大な自然のなかで、淡々と昇って沈む太陽という感じがする。

内科の先生は、幼い頃から診てくれていることもあって、やっぱり「北風と太陽」にでてくる、包容力のある暖かな太陽て感じがします。

耳鼻科のK先生は、「お天道様が見ている」という言葉に出てくる太陽のように思えます。「いいことも、悪いことも見ています」「冷静に観察し、分析しています」という存在感がある。

同じ太陽にも、様々な表情がありますね。
お医者さんの中にも、個性的な人がいます。個性的な人に囲まれて、楽しく治療を受けることができて、幸せです。

今は真夜中。数時間経てばまた、太陽は昇りますね。

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