「みんな一生、修行中。」の記事に補足をいたします。
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu/story/?story_id=1814801【引用始まり】 ---
「僕が思うにさ、ふゆうさんは、神経細いよ」
「細い」
「神経細いと思うよ。だから、受け止め切れんこともあるんやろ」
【引用終わり】 ---
【補足1】
上記の会話において「神経細い」というのは、解剖学的、医学的に「特定の神経が、他人と比べて細い」という意味ではありません。
つまり「心理面」というか「感性」というか、そういうことを差す言葉でした。
たまたま、最近の治療計画で自律神経調整剤などの話題が出ていたので、少し話が混乱したようです。
偶然ですが、Yahoo!知恵袋さんで、自律神経について「治療をして神経を太くすることができるの?」というような質問がありました。参考になるかと思いますので、URLを掲載しておきます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127052277http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q149973254【補足2】
いきなり「神経細い」という会話が始まったかのように書いてありますが、一部省略した内容があります。その内容は、下記の記事で既に書いておりますことと重なりますので、省略いたしました。
こんなにも欠けている私を愛して欲しい
http://www.mypress.jp/v2_writers/fuyuu/story/?story_id=1812604【引用始まり】 ---
そして、私の場合、最も大変な荷物として心に残っているのは「私はこんなにも欠けている存在なのだ」という思い。多分、もっと私が年齢がいって、いい意味での図太さとかを身につけていたら、人の言葉をいちいちまともに受け止めてしまうことなど、なくなっていただろう。でも、自分はそれができない。
祖母の言葉、親戚の言葉、親の言葉、友達の言葉、全部が「お前は欠点だらけの存在だ」と言っているように感じる。
【引用終わり】 ---
【補足3】
私自身「神経細い」という言葉を、普段から使い慣れていましたが、厳密に「どういう意味か」と考えたことがありませんでした。このたび、このような機会を与えていただき、ありがとうございました。
私たちにとって、お医者さんという存在は、太陽のように患者を照らしてくれる、ありがたい方々です。
この記事に登場する婦人科のT先生は、暖かくて、優しくて、包容力があって、ちょうど「北風と太陽」に出てくる太陽のような人です。私は頑なだった心をだんだんと、開いていくことができました。婦人科の先生なのですが、「ふゆうにはカウンセリングとかが必要や」と気にかけてくれます。
さて同じ太陽であっても、真夏の灼熱の太陽という感じの方もいます。それは、外科のM先生とS先生。エネルギーをばーんと放出している感じ。こちらも強いエネルギーを持って、ばーんと跳ね返すくらいの勢いがあると、本当に楽しく時間を過ごせます。
精神科の先生もそれに近いけど、どちらかというと「どんなにつらいことがあっても、朝になれば太陽が昇る」といったことを考えるときの太陽に近いかと思います。サバンナなどの雄大な自然のなかで、淡々と昇って沈む太陽という感じがする。
内科の先生は、幼い頃から診てくれていることもあって、やっぱり「北風と太陽」にでてくる、包容力のある暖かな太陽て感じがします。
耳鼻科のK先生は、「お天道様が見ている」という言葉に出てくる太陽のように思えます。「いいことも、悪いことも見ています」「冷静に観察し、分析しています」という存在感がある。
同じ太陽にも、様々な表情がありますね。
お医者さんの中にも、個性的な人がいます。個性的な人に囲まれて、楽しく治療を受けることができて、幸せです。
今は真夜中。数時間経てばまた、太陽は昇りますね。
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