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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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身体化障害とかの勉強

精神科のN先生と話した。

「ふゆうさん、聞こうと思ってたんじゃけど、ホームページ見られなくなってたのはなんで? 仕事のほうじゃなくて、個人サイトのほう(ちなみに、http://fuyuu.at.infoseek.co.jp )」
「なってました? 何時ですか?」
「先週、見られん日があって、心配しとったけど、この日曜日かな、見たら復活してたんで。ちょっと気になったもんでね」
「それは、私が何かしたのではなくて、サーバのメンテナンスか何かだったのかも・・・。すみません、ご心配をかけて」
「いえ、それならいいんですよ」

【皆様へ】同様の心配をおかけしていましたら、申し訳ありませんでした【皆様へ】

「さて、うつ状態だから体調が悪いと思っているわけですね」
「はい。思ってます」
「うつ状態で、体調が悪くなることは実際あります」
「はい」
「精神科の問題で、身体の症状が起こるのは、例えば、心身症、心気症、転換性障害・・・は経験がありますね?」
「はい、あります」
「最近では、仮面うつ病も知られてきたし、身体化障害という概念もありますね」
「はい」
「いずれも、『患者本人が心の問題に気づきにくい、気づいていない』といったことが根本にある場合に、問題は大きくなります」
「そうなんですか」

「逆に聞きたいけど、なぜふゆうさんは、うつ状態にこだわってるのかな? なぜ、抗うつ剤が欲しいんですか? 身体の先生から、薬をもらっていますね?」
「はい、もらっています」
「カルナクリンはまだ、飲み始めて三日だったら、効くかどうかの判断は来週に入ってからですね」
「はい」

「私は、何が何でも抗うつ剤を出さない、と言ってるのではありませんよ。どうしても、精神的な危機だというなら、考えますから言って下さい」
「はい」
「ふゆうさんには、トレドミンが効果があったのでね、また飲み始めれば、効果があるでしょう。トレドミンの効果が、身体の症状を軽くしてくれる場合もありますよ。でもそれは、身体に異常がない場合です」
「はい」
「でも、断薬・減薬のこともついてくるんでね・・・」
「カルナクリンの効果が出てくるのを、待ってみます」

「そうですね、それと生活環境のことですが」
「はい」
「仕事は、無理をしていませんか?」
「はい、今は、親戚の具合が悪くて、いつ何かあるか分からないこともあって、納期の幅を見ていただいています」
「家事は代わってもらって、どうでしたか?」
「実は、急にいきなり全部任せてしまったので、続かなくて・・・」
「あぁあ、それはまぁ、無理もないですね」

「睡眠時間がめちゃくちゃであるとか、食事を抜いてしまうということは?」
「気をつけているんですが、先週は寝込んでましたので・・・」
「できるだけ規則正しくしてね」
「はい」

N先生、今日もありがとうございました。勉強になりました。

ちなみに、身体化障害については、下のメルクマニュアルさんが参考になる。私は身体化障害という言葉を知ったとき(今日ではなくて、年末だったと思う)、「私は当てはまるように思う」と言ったことがあるのだけど、「あなたは違います」と言われてしまった。どこが違うのか分からなかったけど、ちょっと怖いことが書いてあったので、引用させてもらおうと思う。

http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec07/ch099/ch099b.html
【引用始まり】 ---
身体化障害の患者は、症状が心因性のものだとほのめかされただけで不満や怒りを表します。【引用終わり】 ---

う、うわぁ・・・。じゃあ私って、怒りまくってんといけないやん。。。

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どんな風に助けて欲しいか、話して。

この前、家事を一週間ほど休ませてもらうことになった。でも、今まで慣れていない家族に、いきなり全面的に一週間も任せてしまったために、結局は続かなかった。それでも、3日ほどは休ませてもらえたので、ありがたいと思う。

さて、このことの話し合いの後で「いきなり、100%もう無理だ、となる前に、助けてくれと言ってほしい。どんな風に助けて欲しいか話して欲しい」と言われた。例えば、掃除だけは誰かに任せるとか、洗濯だけは誰かに任せる、といった部分的に労力を負担してもらう、という方法もある。あるいは、近所づきあい、親戚づきあいの部分がしんどいなら、その面を家族に任せるとか、そういう「質」の面で任せる範囲を決めるという方法もある。

今回は、あまりにも「いきなり」のことだったので、私もどんな風に助けて欲しいか、ということが分からない。たとえば「夕食を作って欲しい」と頼んだ場合に、「それをやった結果、どうなるのか」が想像できない、というところがあった。何を減らしてもらったら、どのくらい、自分が楽になれるのか、が分からなかった。これは、頼まれる側も、頼む側も「慣れていない」ということなんだろうと思う。

私は「どんな風に助けて欲しいか、話して」という言葉に、既視感覚がある。私のよくないところなんだけれど、「どんな風に」というのが言えない、という面がある。

例えば「いたずら電話がめちゃくちゃかかってくる」という苦境に立たされたとする。「助けて」というのにも、いくつかの種類があって、「いたずら電話がかかってこないようにできればいい(着信拒否など)」「いたずらの主を突き止めたい」「相手と話し合いたい」など、「どうなりたいのか」という点を明らかにした方が、まわりも相談に応じやすいだろうし、自分の目指す方向も定まる。

あまりにも疲れすぎると、「どんな風に」という部分が、飛んでしまう。ともかく「助けてくれ」と泣き叫ぶだけになってしまう。「そこまでになる前、まだ冷静に『どんな風に』と言える時点で、話す」ということも、本当は大事なのだと思う。

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こんなにも欠けている私を愛して欲しい

「孫が介護に関わるということの是非」について、様々な意見がある。基本的には「是」とする人が多いのだが、そのなかでも「孫が副介護者である場合に是」という意見が多いようだ。

実は私は、下記サイトに随分お世話になっていて、分からないことの相談に乗ってもらったことがある。

介護110番
http://www.kaigo110.co.jp/

特に、介護が終わってから、色々な問題(精神面、自分が体を壊してしまった、相続、親戚関係など)をどう処理すればいいのかは、自分が相談しないまでも、他の方の意見を参考にさせてもらった。

このサイトでは「孫が主介護者」というケースの方が、結構いたので、自分は違和感を持っていなかった。

だけど、隣近所といったレベルや、友人間では少ないのだ、ということに気づいたときには、どうしても埋めようのない溝というのができてしまってからだった。たとえば、友人の誘いを断ってしまったときに「祖母の介護がある、なんていう理由は信じられない。来たくないならはっきり言え」と言われてしまうとか。もっと最悪なのは「介護が終わったら、自分が体調を崩すなんて、都合が良すぎる」と言われてしまうとか。

昔々、まだ自分が高校生だったときに、祖父が「結核の疑いが濃厚」と言われたことがあって、病院に入院をしていた。結核の場合には、患者家族は保健所に呼び出されて、胸部レントゲンを受けたりする。このときから、「両親は仕事があるので、祖父母に何かあった場合には、介護は自分がするもの」という思いがあった。

Sさん(専門家としてではなく友達としてのSさん)と話したとき、次のように言われた。

「私の知っている範囲、仕事で会うご家族とかでも、基本的には親の介護は『子』が多いなぁ。こっちもキーパーソンは『子』と思って話をする」

「現実的な主介護者が『孫』となるなら、たとえば施設や病院にも説明がいると思う。大事な話があるとき『孫を子の代理と考えて、大事な話も孫にいってくれて構わない』という意思表示をして欲しいなぁ。でないと『孫』が目の前にいるのに、わざわざ『子』に電話して、大事な話をしなければならない、とかそういうおかしな事態になる」

「ただ、孫が最も長時間、介護にあたるかどうか、おばあちゃんを愛しているかどうか、ということと、様々なことの決定権まで、孫に負わせるかどうかということは、別やろう?」

日常的なこと(夕ご飯何するの?とか、お風呂に何時に入るの?というレベル)は、孫が決めて問題ない。というかそのために、介護をしているのだから、孫が決めなければならない。でも、たとえばケアマネさんと話し合わなくちゃ、身体障害者の手帳をもらわなくちゃ、といったレベルになると、孫が手続きのできることって本当に少なくて、結局は無力だと思わされる。

「孫が介護に関わるということの是非」ということも、結局はここをどう考えるかということが、大事なのではないか?

おじいちゃん、おばあちゃんは、病床から文句をいい、あれをしてこれをして、と命令する。その子(自分の親)は、大事なことを全部決めてしまう。孫はひたすら日常的な介護にあたって、労力を提供する。

これをどう考えるかっていうことが、孫の「納得」の度合いを左右する。

親は重大な決定を全部する変わりに、孫と違って大きな責任(心理的にも)を負い、祖父母のための経済的負担をする。祖父母は、もしかしたら「子」に対してなら表明してしまうかもしれない不満を、孫相手には表明せずに我慢する。こういう面もあるかもしれないから、子が介護をすることが絶対良くて、孫はやめておいたほうがいい、とまでは言えないかもしれない。

ただ、やっぱり孫の生活へのダメージというものも、考えなければならない。私も失ったものがある。それは先に書いたような「友達の理解が得られなくて溝ができてしまった」ということもあったし、「健康を損なってしまう」ということ、「仕事をどうするか」ということ、などもある。さらに非常に残念なことだが、「親(祖父母の子)との関係」が、介護中にできたしこりを残してしまい、スムーズに行かなくなる、という場合もある。

そして、私の場合、最も大変な荷物として心に残っているのは「私はこんなにも欠けている存在なのだ」という思い。多分、もっと私が年齢がいって、いい意味での図太さとかを身につけていたら、人の言葉をいちいちまともに受け止めてしまうことなど、なくなっていただろう。でも、自分はそれができない。

祖母の言葉、親戚の言葉、親の言葉、友達の言葉、全部が「お前は欠点だらけの存在だ」と言っているように感じる。
「(自営業なので)どうせ家にいるんだから、介護に長時間使っても構わない」
「ふゆうさんの将来がご心配ですね」
「家の掃除が行き届いていない。味噌汁が不味い」
「祖母の介護があるから、誘いに応じられないなんて、信じられない」

お前は、こんなにも欠けている存在だ。
お前は、誰一人の要望にも応えられない、つまらない存在だ。
お前は、お前は、お前は・・・。

孫には、こんな言葉を受け止められる図太さが、まだまだ備わっていないということも、孫の大変さを増してしまうのではないだろうか。

介護が終わった後(正確にはもう一人、要介護者がいるのだけれど)に、「こんなにも欠けている私を愛して欲しい」っていう思いが、強くなった。それはたとえば、
「良く頑張ったって言って欲しい」
「体の調子が良くなるよっていって欲しい」
「ちょっとだけでいいから、家事を休ませて欲しい」
「もう一人で泣かなくていいよっていって欲しい」
そういう色々な形で表に出てきたけれど、結局のところ「私は欠けている」という思いが強くなりすぎて「私の欠けている部分に、誰かの愛情を注いでもらって、欠けた部分を埋めていきたい」と思ってしまっているのだろうと、最近思う。

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誰にも見られないような場で、こっそり書くほうがいい場合もある。

婦人科のT先生のところへ行った。

「こんにちは」
「こんにちは。・・・次の木曜日のはずやったのに・・・何かあった?」
「あった」
「何があったの?」
「先週、寝たきりって言っていいくらい、ぐったりしてた。それで、内科的には異常がないって、内科医院の先生が言って、自律神経の働きを整えるような薬を出せば、改善するかもしれないって。でも、婦人科の薬と飲み合わせがどうかなって」
「そうですか。まず今うちで処方している薬と、自律神経系の薬を同時に飲んでも、矛盾はありませんよ」
「あ、そうなんですか」
「そしてまた、ホルモンのバランスを、人工的に調整しているのだから、体調に影響が出ることもありますね」
「そうですか」
「でも、全部婦人科の影響かって言ったら、そういうこともないと思うけど」
「そうですね」

「どういう症状が具体的にあったかな」
「夕方になると疲れがひどくて、立てなくなったりしました。あと、顔が急に熱くなって、汗がいっぱい出るような・・・」
「更年期障害の症状みたいやな(ホットフラッシュというそうです)」
「そうですね」
「でも、人工的とはいえ生理を起こさせているし、更年期障害とはちょっと違いますね」

「精神科の問題ってことはない?」
「私はあると思ってるんですよ。うつ状態で体調が悪くなるっていうのも、ありますよね。それで精神科の先生と話したんやけど、婦人科疾患のある人に、ドグマチールを連用させないほうがいいと言われた。それと、トレドミンも飲み続けてしまうと、減薬・断薬の苦労がついてくるので、薬無しでがんばれるなら、がんばろうって」
「そうか、なるほどね・・・」

「さて、僕ができることなんですけど、カルナクリンという薬を出すことが一つ」
【補足】カルナクリンは、血液の循環を良くするといった薬であって、自律神経に直接作用する薬ではない、という指摘を受けました。精神科のN先生ありがとう。【補足ここまで】
「カルナクリン・・・」
「そう、同じ働きの薬としてローザグッドなどがあります。あぁ、当帰芍薬散を飲んでいるのも同じような目的ですよ。カルナクリンは、今日飲んで明日効くというものではないので、たとえば10日、20日とたって徐々に効き目が実感できると思う」
「はい」
「もしも肝機能障害がでてくるような場合も、今日明日ってわけじゃないんで、しばらく経ったら血液検査しよう。・・・内科医院ではホルモンの検査までしてへんやろな・・・」
「してないですね」
「更年期障害の人でも、ホルモン補充療法が合う人、自律神経系の薬が合う人と、色々いるんですよ」
「そうなんですか」
「今、ルナベルをやめて様子を見ようとしてるから、カルナクリンを飲むのはちょうどいいかもしれへんな」
「わーい」
「これでもしも、良くならないようやったら、精神科の薬の助けを借りた方がいいかもしれへんな」
「はい!!」

「じゃあ、10日後に来て下さい」
「はい、ありがとうございました」

処方箋をもらって帰った。薬局の先生が「調子悪かったですか?」と聞いてくれた。良くなるといいなぁ。。。

自分でも精神科的な問題が起こっていると思っている。全部をそれでは説明できないのは、確かにそうだけれど、今は精神が身体に与えている影響も多くある。

今は、心が重たくなっているのは本当。まだこのブログに書けるほど、状況の整理ができていないけど。そしてまた、結果的には「もう気にしない」という結論がでて、書かないで済むのかもしれない。

そういうあやふやな状況のことは、あまり公に書かないほうがいい。誰にも見られないような場で、こっそり書くにとどめておいた方がいいと思うのだ。

先日、NHKでうつ病の治療についての新常識、というのが放送されていた。薬物の過剰処方に関する話が多かったけれども、最後のほうで認知行動療法について触れられていたのが印象的だった。私は森田療法を得意とする先生のもとで、精神科の治療を受けたので、認知行動療法というものは、ほとんどしらないけれども、先生が「認知のゆがみ」というものについて、教えてくれたことがあったのを思い出した。

いつか、自分の中の「ゆがみ」を正せる日がくるのかなぁ。だといいなぁ。

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ちょっとだけでいいから、病院へ泊りたい。

これは2月9日のことなので、日数が経ってしまった。でも書こう。

その日、婦人科のT先生のところへ行った。
「おや、どうした? おなか痛いか?」
「先生、ごめん、不正出血が・・・」
「あぁあ・・・。ルナベルは、3回ほど飲んでるけど、いずれも不正出血がおきてる・・・、次も処方したとして、不正出血が起きたら・・・、まだ考えてない」
「ははははは」
「今日は、ノアルテン-D欲しいということで、来たんやな」
「はい、欲しいです」
「そしたら、今回はまぁ、ノアルテン-Dを使って、綺麗に流そう。それで次回やけど・・・」
「次回やけど・・・」

「一回、ホルモン剤を使わない状態で、排卵があるかどうかとか、月経痛がどうかとかを、観察したいと思います」
「はい」
「だから、次の診察を26日に入れておくので、まずはノアルテン-Dの効き目がどんな感じやったか、聞かせてください」
「はい」
「当帰芍薬散はそのとき処方しても間に合いますね」
「はい」

「さて、なんか話があるようですが」
「はい、外科のM先生が転勤してしまいます」
「えぇえ!! まぁ、あるやろな。それで、誰が来るんですか?」
「実は、S先生に決まったそうです」
「S先生って、あのイケメンの人やな?」
「はい」
「良かったやん。また、落ち着いて話を聞いてもらえたらいいな」
「はい!!」
「そっかぁ、S先生来るなら、僕も挨拶せなあかんなぁ。ふゆうさんから写真までいただきましてって。S先生が来てくれて、安心できて、卵巣も良くなったらいいのになぁ・・・」
「良くなったらいいのになぁ・・・」

しばらく二人でS先生頼み。

ごめん、T先生、26日までもたないかも・・・。しんどくなってきた。とりあえず現実から逃げたくなってきた。

T先生に早く会いたくなってきた。

ちょっとだけでいいから、病院へ泊りたい。なんか病名つけてもらって、一晩だけでもいいから泊めて・・・。

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