私が「祖母を一人で見るのは限界だ。なんとかしてほしい」と両親に訴えた2日後、祖母は腹痛を訴え、ある私立病院の救急外来を受診することになりました。
結果的に、腸穿孔を起こしていた祖母は、緊急オペを受けて人工肛門を造っていただくこととなりました。また、実は同じ私立病院の泌尿器科で、以前から検査中だったのですが、尿路系の癌が進行していることも分かりました。
こうして、祖母の看病に病院へと通う日々が始まりました。
人工肛門には、抵抗はありませんでした。人工肛門のバッグを交換するのを「手際がいいですね」と褒められると、ものすごく嬉しくなったものです。
しかし、「看病がある」と打ち明けたことで、私はいくつかの仕事の契約を切られました。フリーランスは「親の死に目にも会えない覚悟はしなさい」と言われます。契約がある以上は、たとえ親が死んだ場合でも、仕事は完遂しなければならないからです。
話し合いに応じてくれる会社もありましたし、一時的に休業という扱いにしてくれる会社もありました。
とはいっても、新規の契約を交わしたばかりであるとか、付き合いの浅い会社にとっては、心配するとか気の毒に思うとかよりも、「大丈夫かこの人は?」と警戒するのもまた、仕方のないことです。
メニエール病を重症化させてしまう患者には「自分のことを後回しにしてでも、他人のために尽くしてしまう」といった面があると言われています。介護の場面においては、「他人のために尽くす」性格は、長所となりえます。
ただその「度合い」が問題なのです。
被介護者は、どうしてもわがままになります。被介護者は「自分では何もできない苛立ち」「もしも、介護者を怒らせたら、自分はもう助けてもらえないかもしれないという不安」を同時に抱えることになります。そのはけ口として「もっとも静かな介護者」に暴言を吐く、乱暴な振る舞いをする、といった面が見えることがあります。
私にとっては、「孫はろくでもない仕事をしているから、看病に長時間使っても構わない」と、見舞い客に話す祖母の言葉が、とてもきつかったです。
「祖母の看病があるために、仕事を切られた。その上、ろくでもない仕事と言われた」という事実は、私には重すぎました。
こうして「耳が聞こえない」という症状が出るようになりました。
祖母の友人が見舞いに来てくださったときの会話です。
「ふゆうちゃん、毎日来てくれて、いいですやん」
「いえ、もう、ろくでもない仕事して、
家で居てますさかいなぁ、別につこても構いませんねん」
この後、数分間ではありましたが、全く耳が聞こえなくなりました。
この症状はおそらく、一時的な心因性難聴であったと思われます。
大勢の聴衆の前で何かを発表するとか、スポーツの競技会などに選手として出場するとか、そういう経験のある人は「自分の心臓の音しか聞こえない!!」という状況を経験したことがあるでしょう。
私がこのことを、看護師さんに話すことができたのは、8月7日のことという記録があります。
「私が看病することで、祖母がイラつくようだ。他の人にはあんな言い方をしていないのに。私がくることで、祖母がイラつくなら、逆に言えば私がこなければ、イラつかなくて済むならば、私は来ないほうがいいのでしょうか?」とお話したことが、簡単なメモに残っています。
看護師さんと話しているうちに、気持ちも少しは落ち着いて「自分の主治医の先生に話してみる」という形で、その場は終わっているようです。
「耳が聞こえなくなった」とこの時点で、誰かに相談できていればと、悔やまれます。
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