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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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再びの疲労蓄積のサインと新しい出会い

2009年5月11日、自宅の塗装を始めることとなります。しかし、塗装前の屋根や屋根裏の点検で一部の木材が腐っており、これを放置すると、屋根が落ちてしまう可能性がある、ということが判明しました。

この工務店さんは、自宅を建てるときからお世話になっている、信頼の置ける工務店さんなので、余計なリフォーム工事を勧めるという悪質なお店ではありません。

木材の補修をしてから塗装工事に入ることとなります。当初2週間の予定でしたが、3週間程度の期間を見てほしいといわれます。雨の日など作業のできない日もありましたので、結果的には4週間かかりました。

その間、毎日10時と3時のお茶とお菓子を、職人さんの人数分、用意してお出ししました。職人さんたちは丁寧で愛想良く、いつも「ありがとうございます」と言ってくださって、なんだか嬉しかったです。またいつもお盆を返しに来てくれて「ごちそうさまでした」とおっしゃってくださいました。

ただやはり、4週間もかかっての工事となると困ったことも起こりました。

私はフリーランスで、パソコンさえあれば仕事ができます。時間の自由も利きます。

とはいっても、一歩も家から出ないということは難しく、資料や消耗品を買いに行くとか、家事のための買い物などもありますし、病院へ行くこともあります。こうした時間をどいうやって確保するのか、本当に困りました。

何よりも「知らない人が常に自宅にいる」ということは、けっこう落ち着かないものです。

少しずつではありますが確実に、疲労は蓄積していきました。

この頃、楽しい出会いがありました。精神科のN先生の医院に、若いL先生が常勤されるようになります。N先生が「ふゆうさんは、色んな人と会って見識を広めておくことが、良い仕事をできることに繋がるでしょう」と勧めてくださり、私は本当に美しい男性だと評判のL先生の診察を受けることになりました。

5月12日、L先生の診察室を訪ねました。

「ここのところ、調子はいかがですか?」
「5日と6日に、少し体調が悪かったけれど、他は問題ありませんでした」
「この内リンパ嚢開放術という手術の病名は、何だったのですか?」
「メニエール病です」
「内リンパ水腫、か」
「そうです。ただ、あの、8年間治っていたのですが(治っていたという表現は語弊があるかもしれませんが、話の流れでそう言いました)、介護があって、終わってから急に悪くなりました」
「はぁあ、なるほど。それだと、心因性の可能性はありますね?」

そうそう、そうなんです、先生もそう思うでしょ!! 私もそう思ったの!!!

っていうのがホントの気持ちでした。

「そうなんです。私もそう思って耳鼻科の先生にお話ししたんです。ただ心因性難聴だとオージオグラムがこういう波形にならないんですよって言われてしまって・・・」

心因性という言葉を喜ぶ、ちょっとへんな患者となってしまいました。

5月26日、体調の変化の兆しが現れはじめます。当初は軽い喉の痛みを感じ、風邪{を引いたかなぁと考えていました。そしてまた再び、乳腺症の症状が出てしまい、皮膚炎を起こすようになります。

5月末、予定通りに進まない工事にイラついた気持ちになり、私は何かの弾みで「もう誰も家に来てほしくない。うんざりだ」と言ったことがあります。それは本音ではありました。しかし、不用意に発言しすぎたとも、感じています。

これをきっかけに「ふゆうに一人で対処させることが、ふゆうの負担になっているのかもしれない」と家族が気にし始めたように思います。

さて、軽い風邪や、乳腺症そのものは、ものすごく心配な症状ではありませんが、私の場合には「疲労がたまっている、心身のバランスが崩れている」というサインとして、そうした症状が出る場合があります。

この頃、「誰かを信頼する」ということについて、少し考えたことがありました。
そのころに書いた文章をここへコピーしておきます。

■世界で一番信じてる人

私はこの季節になると思い出してしまう、ちょっとつらい思い出がある。

ある日、友人だと思っていた人から「欠陥品」とののしられた。
それは私の身体的な特徴(ちなみに婦人科のことです)をあげて、
ひどくののしる言葉とともに、言われた。

私はこのときから
「人を信じることで、傷つくということが嫌だ。もう誰も信じるものか」と思うようになった。

こんな私にも、今は信じることのできる人がいる。
とはいっても「信じられる」とはどういうことだろうか? 
考えても考えても、簡単に答えが見つからなかったのだけれど。

「私は、他の人には耳のことを話せないでいるけれど、
 この人にだけは『耳が聴こえなくなったから、嫌われるかも』なんて心配は、
 一切したことはなかった」と思った。

「信じられる」というのは、そういうことなのだろう。

たった一度だけ
「友達になれる?」「なるよ」という会話を交わしただけだけれど、ただずっと信じている。
世界で一番、信じている。


さて、話は戻りますが、身体に疲労が蓄積しているようなので、
メニエール病の症状が出ないように、気をつけなければいけないと思い始めます。

そこへ、ある一通のメールが届きます。

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やっぱり素人の浅はかな考えでした。

2009年2月ごろ、私の体重は2キロほど増えていました。しかし、4月に入り、イソバイドを飲み始めて1週間もすると、体重は再び元の値に戻っていました。イソバイドは経口浸透圧利尿剤で、むくみをとる作用がありますので、自律神経の乱れによってむくんでいた体が、元に戻り始めたのかもしれません。

4月21日、夕方に耳が聞こえなくなった(めまいはない)というメモがあります。このときは、月経困難症の真っ只中で、食欲もなく、精神的にも不安を持ちやすく、些細なことで悲しくなったりしている様子が、記録に残っています。やはりこうした心身のストレスが、メニエール病の症状を誘発するのでしょう。

4月28日、耳鼻科の先生のところへ行きました。

「どうした、調子悪かったかな?」
「えと、一個疑問があって、あの・・・」
「はい」
「えと、あの(←相変わらず慌て気味)、ある人からの暴言を聞かされ続けていて、その後で耳が悪くなったので、心因性のものじゃないのかと、精神科の先生に聞いてみました。すると、手術までした経緯があって、内耳に異常があることが明らかなんで、心因性という断定が難しいんちゃうかなって、言われたんです」
「心因・・・、心因というか、ストレスがもとで、メニエール病の症状が誘発されることはありますよ」
「はい。あの、ただ、めまいとかなくて、いきなり難聴だけ言われたんで、あの、暴言を聞くのがいやになって・・・」

「あぁ、ふゆうさんの言うのは、暴言をシャットアウトしたくて心因性難聴になったかどうか?」
「そうそう、それ!!」
「ないないないない(笑)。それはないわ。もしもそういう場合には、オージオグラムがこういう波形にならないんですよね」
「そうなんですか」

「そう、ただね。心因・・・ストレスやな、ストレスの関連がゼロかといわれれば、それもまた難しい。話を聞いてると、介護という、健康な人でもストレスがたまる状況やったみたいやん。もともとの体質のようなものとして、内耳にトラブルがあるとして、ストレスが誘因となって、症状が悪化するということはあるよ」
「はい」
「ただ、僕たちもよく『因果関係を証明しろ』といわれるんやけど、できないことが多いねんな、なかなか」
「そうなんですか」
「なかなかねぇ、断定できるかというと難しいことが多くてね」
「はい、ありがとうございます」

やっぱり素人の浅はかな考えでした。

話は変わりますが、前々から、工務店さんに自宅の塗装をお願いしよう、という計画があり、5月の初旬から取り掛かっていただくことに、話が決まります。ゴールデンウィークがあけたら、職人さんが家にいらっしゃることになり、期間は2週間ほどというお話でした。

しかしこのことに関して、再び私は間違いを犯してしまいます。

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心因性難聴だったらどうしたいか

2009年4月8日夜から、腹痛がして下痢気味でもあり、ブスコパンやロペミンを飲む回数が増えていきます。痛みというのは、一度や二度のことなら耐えられますが、痛みが続くようになると、気分が落ち込むようになっていきます。

そしてこのとき、気分の落ち込みはやがて一つの疑問と不満へと繋がってしまいました。

4月14日、喘息の先生が私の体調を色々と聞いてくださいました。排卵があった(ように見える)ために、少し胃腸の調子が悪くなったといった話の後のことです。

「で、メニエール病のことはどう?」
「あ、あの、実は自分で心因性難聴じゃないの? って思いが捨てきれないんですよ」
「・・・知ってると思うけど、心因性難聴かどうかっていうのは、基本的に、あらゆる身体的な検査をして、異常が無い場合に心因性ではないですか、ということになる。いわゆる除外診断になるんですね。この症状があったら心因性という判断の仕方では、ないんですね」
「はい。そうですね」
「ふゆうさんの場合には、内耳に異常があることは確かなんで、心因性難聴という断定ができるかというと、難しいんちゃうかなぁ・・・」
「あの、身体的な異常の程度が1とか2しかなくても、症状が10、20出るというケースも、心因性の場合があるとか・・・」
「それはあり得ますね。その部分は、私は内科なので診断ができないけれども・・・」

「なんで、そういう風に思ったんかな?」
「めまいとかなくて、いきなり難聴だけ言われたというのと、あとは祖母の介護とか、家族とのこととかがあって、『もう誰の言葉も聴きたくない』っていう思いがこういう形になってるんかなって、思いました」
「なるほどね。N先生(精神科)のところへは?」
「明日行く」
「N先生は心の専門家の先生やから、一回聞いてみるといいわ」
「はい」
「まぁ、心因性難聴という発想にはびっくりしたけど、N先生やったら、何かいい考えがあるかもしれへんから」

ありがとうございました。

4月15日、精神科のN先生のところへ行きました。ものすごく混んでいたので、いきなり本題に入りました。

「あの、心因性難聴かなぁって・・・」
「ずいぶん、いきなりですね」
「今日は混んでるみたいですしね」

N先生は、身体的な治療や検査について、たずねました。イソバイドを飲んでいること、聴力検査を行ったことを、お話しました。

「それは多分、再発したという前提で、病気の程度を調べるための検査ですね。除外診断をするための精査まではいってないと・・・」
「はい、そうです」

「ところで、ふゆうさんは『心因性難聴ですよ』と言われたら、どうしたいですか?」
「え?」
「私としては、H先生(喘息の先生)と同じく、ふゆうさんの場合には心因性という断定は難しいと思う」
「はい」
「ただ、あなたが心因性という言葉を見つけてきたということは、なぜそう思うか、どうすれば解決に向かうとあなたが考えているかを探っていくことで、症状が楽になる可能性はあると思いますのでね」

「・・・だった場合に・・・、だった場合に・・・どうすれば・・・どうすれば・・・」
「それは、今すぐ答えるのは難しいですか?」
「あの、多分なんですけど、祖母が暴言を吐いたことを、私が許せるかどうか、という点じゃないかと・・・」

「あぁ、なるほど、それは正解の一つかもしれませんね」
「はい」
「もしもどうしても答えられないが、とても苦しいとか、答えられたとしてもとても苦しいという場合には、リーゼとかデパスとかその系列の薬を活用するという方法もありますのでね」
「はい」

「ただ、心因性難聴という断定は、ふゆうさんの場合には難しいです。身体の治療を受けてくださいね」
「あ、あの、耳鼻科の先生に、心因性難聴かどうか、その可能性があるかどうかは、聞いてみてもいいでしょうか?」
「それは、大丈夫でしょう。先生の診断を否定するような言い方ではなくて、『気になっているところが、あるんです』という言い方なら、大丈夫ですよ」

ありがとうございました。

このころ、一つの不安が首をもたげるようになります。

「イソバイドの瓶が家にあると(冷蔵庫にしまってあると)、これまでの経緯があるので、家族が気を使ってしまうのでは?」ということ。

元気な人は、イソバイドを飲みません。イソバイドの瓶がそのあたりにごろごろと、存在するということは、「何か治療をしている」ということが分かってしまうということ。

先にも書きましたが、私は「介護を丸投げされた」ということそのものは、腹が立っていました。また、被介護者の暴言に関しても、「本心ではなかったのかもしれない」という思いがありながらも、やっぱり腹が立っています。

だけど、それと、メニエール病とは別です。

今思えば、この気持ちをきちんと話す機会を設けるべきでした。この後もう一度、家族を同じ気持ちにさせてしまう出来事が起こってしまうのです。

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両親のパニック状態への対応に悩む

2009年4月8日、咳が止まらず痰がたまった感じがして大変困り、喘息の先生のところへ行きました。咳止め、痰きりなどの薬を手際よく処方してくださる先生に、ついつい甘えてしまいました。

「あの、メニエール病のことでちょっと悩んでるんですけど・・・」
「ん?」
「あの、祖母の介護を結局一人でしてしまって、その途中で耳が悪くなったんです。それで、両親が『耳が悪くなるほど大変なんやったら、言ってくれれば交代してたのに』って言って、パニック状態になってる」
「うん」
「私は両親のパニックになっている気持ちを、どう受け止めればいいんでしょう?」

「ふゆうさんの場合は、もともとメニエール病があるやん? 介護うんぬんを抜きにしても、悪くなってた可能性はあるやん?」
「はい、あります」
「それを言えばいいんちゃうかな。ご両親の気持ちは、私は分かる気がする。一人でさしてることを、ずーっと気になってたと思う。だから『介護、看病うんぬんとは別に、悪くなった可能性はある』と言う風に、根気良く伝えるのがいいんちゃうかな?」
「根気良く・・・」
「うん。ご両親も、すぐには納得できんと思うから、分かるまで言うしかないよな」
「根気良く・・・」
「そうそう。いずれは伝わると思うから、大丈夫や」
「はい。ありがとうございました」

もしかしたら、私はめちゃくちゃ冷たい考えをしているのかもしれませんが。

「今さら『交代してたのに』と言われても。言うくらいなら交代してみせてほしかった」という不満が、私にあるのは確かです。だけど、時間を巻き戻して交代することができない以上は、「交代しなかった」っていう事実を、引き受けてもらうしかありません。

これは、私の側にも言えます。もっと強く「協力して欲しい」と言っていたら、状況は違っていたかもしれないのです。でも、それを「強く言わなかった」「伝わっていなかった」という事実や、その結果起こってしまったことは、私が引き受けるしかないと思っています。

そして、正直言って、私は自分の状況を受け入れて、改善の努力をすることで手一杯で、人の気持ちをどうこうできるだけのパワーは、この当時はありませんでした。

ただ、少なくとも、両親のパニックにつられて、私が一緒に落ち込んでたらどうしようもないので、もっともっと強くならなければと、思ったのでした。

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二度目の運命の日

2009年4月7日、この日は二度目の運命の日となりました。この日に書いた文章がありますので、そのままここにコピーしておきます。

■どうして疑いもなく、「空に還る」ことを信じられるのだろう?

人間は自由に空を飛ぶことなど、まだまだできない。でも、自分の寿命が尽きたとき、この空に還っていくことができると、どこかで信じている。

桜の木の下で、そんなことを考えていた、今日の朝の話。

今日は耳鼻科へ行った。先生が「先、オージオ(オージオグラム、聴力検査)しといて」とおっしゃったので、そのようにする。

オージオグラムが済んでから、先生のところへ行く。実は、呼ばれたのが聞えなくて、先生が何度か呼んでくださった。

「こんにちは。ちょっと具合悪かったかな?」
「え、あ、え、あの、呼び出されたのに聞えなくて、すみません」
「それはいいねんけど、難聴の程度が進んでるねぇ」
「・・・え、あ、え・・・」←どんだけ慌ててるねん自分・・・。

「症状は、どうやったんかな? なんか困ることは、なかったかな?」
「めまいは、なかったんですけど、あの前のとき、急に難聴を言われてびっくりして、そのまま言えなかったんですけど、あの、半年前に祖母が亡くなって忙しかった。それで、今も、実はもう一人の祖母が亡くなって・・・」←慌てて返答している私
「あぁあ・・・、そうやったんか・・・。それでまた出てしまったかなぁ・・・。今現在はめまいが出る前の段階なんやと思うわ、僕は。だから、イソバイドねぇ、飲みにくいやろうけど、少なくとも聴こえがちょっとでも改善するまでは、飲んだほうがいいと思うねん」
「はい」
「2週間分出しとくけど・・・、足らんやろなぁ・・・、まぁ薬だけでもいいんで、改善しなかったら来て欲しいねん」
「はい、来ます」

「あ、あの、イソバイドは美味しいと思うんです」
「そうですか。まぁ、そんな人はあまりいてへんと思うけどね」
「はははは」
「まぁ、飲んでもらう方がいいので・・・。それと、次回の予約やけど・・・」
「多分、自分で思うには、半年後とかにしてもらうと、我慢してしまって来ないかも・・・」
「それやったら、二ヵ月後に一回、来てもらおうか。それまででも、聴こえが改善しないようやったら、イソバイド取りに来て」
「はい」

前は、診察が終わったら、もうショックでショックで、廊下が波打って見えるほど、ショックだった。でも、今回はそこまでのことはなかった。

そして処方箋もらって薬局へ行った。薬の説明をしてくださった。
「イソバイドは飲み辛いとは思うんですけど」
「私、結構好きなんですよ。イケてると思うんですよ」
「・・・私は、長いこと薬剤師をしてますけど、そういう人を見たのは、ふゆうさんが初めてです」
「はうう(TT)・・・」

病院から駅まで、バスで帰る方法もあるんだけど、実は歩いても大した距離じゃない。病院へ行くときはバスに乗るけど、帰りは歩くことにしている。

半年前、病院の帰りに歩いた道。秋口だったけれど、暖かかった。空が青くて高く、暖かい空気のなかにも「ぴーん」と緊張させてくれる何かが、混じり始めていたのを思い出す。

今日も、同じ道を歩いた。桜があちこちで咲いていて、優しい空気に包まれているような感じがした。桜の木の下から、ふと青い空を見上げたときに、桜の優しさと「空」というもののもつ懐の深さを感じて、少し涙がにじんだ。

人間は自由に空を飛ぶことなど、まだまだできない。でも、自分の寿命が尽きたとき、この空に還っていくことができると、どこかで信じている。

どうして疑いもなく、「空に還る」ことを信じられるのだろう?
私はどうして、桜の木の下で、こんなことを考えているのだろう?
私はさっき難聴の程度が悪化していると言われて、ショックを受けたはずなのに、どうしてこんな関係のないことを、考えているのだろう?

何を言われても「いずれみんな、空に還ることができるのだから、大丈夫」と思えてしまうのは、なぜだろう?

桜に囲まれた優しい空の下で、そんなことを考えていた、今日のお昼前。

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