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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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「春の小川」はもう流れていない(小さな幸せレシピ16)

※※※小さな幸せレシピは、医学的根拠に基づくものではなく、私の趣味に基づくものです。素っ頓狂な方法も含まれている可能性があります※※※

「春の小川」という歌を、聞いたことがおありでしょう。

「春の小川」作曲・岡野貞一 作曲・高野辰之
【引用始まり】 ---
春の小川はさらさら流る
岸のすみれやれんげの花に
匂いめでたく色うつくしく
咲けよ咲けよとささやく如く
【引用終わり】 ---

さてイタリックで表現した部分「流る」「如く」は、現代の小学生の言語知識にあわせて、書き換えがされて、音楽の教科書に掲載されています。

「流る → ゆくよ」
「ささやく如く → ささやきながら」

このことの是非については、ずいぶん論議がされていた記憶があります。
「もとの歌のもつ雰囲気を壊してしまう」
「現代の小学生にとって、難しすぎる言葉を遣うと、音楽の授業が楽しくなくなってしまう」
どちらにも、一理がありますし、どちらにも「そうではない」と反論すべき点があります。

「もとの歌のもつ雰囲気を重視するあまり、敬して遠ざけられるような存在になるのも、もったいない」
「現代の小学生にとって、難しすぎる言葉であっても、音楽をきっかけに覚えることができればいいのではないか」
とも言えるからです。

「永久に変わらない」
「時代に合わせて簡単に姿形を変える」

どちらにも利点・欠点があります。

メニエール病の人、特に重症化させてしまう人の性格として「相手の意向によって、自分の意見を変化させることができる」という長所・短所を抱えている人がいます。「さらさら流る → さらさらゆくよ」の変化を肯定できるタイプの人です。

長所・短所と書いたとおり、これは悪い点ばかりではありません。「全員が自分の意見を曲げない」「他人の顔色・その場の空気が読めない人ばかりが存在する」という世界は、おそろしく暮らし難いということは、簡単に想像がつきます。

しかし、困った点もあります。逆に考えてみると、それがわかります。「全員に自分の意見がない」「他人の顔色をうかがう・その場の空気に従う人ばかりが存在する」という世界も、おそろしく暮らし難いです。

「他人の顔色を伺う」ということは、一見「美しい行ない」に見えます。しかしこれは、裏を返せば「自分には、他人の要望にこたえる能力がある」という思い上がりであったり、「他人の要望にこたえて、賞賛を得たい」という自己顕示欲の現われであったりします。「他人の顔色を伺う」ことが、行きつくところまで行ったものがヒステリー性格とか自己顕示欲性格というもの、かもしれません。

一方でメニエール病を重症化させてしまう人の性格として「一度取りかかったことは、とことんやりぬく」という性格を持つ人がいます。「春の小川」で言えば「さらさら流る」を貫くというタイプの人です。

メニエール病患者の中には、この両方が存在します。

「春の小川という歌を、何がなんでも教科書に載せておきたい」という観点からみれば、多少の歌詞の変更してでも載せる、という考え方が一つあります。一方で、何がなんでも「さらさら流る」のままがいい、という人は、教科書から消えようと、どうしようと「さらさら流る」と歌いたいと思うのです。このように「何をメインに据えるか」という価値観の違いはありますが、「とことんやり抜く」「時代の変化を反映する」は両立できるものなのです。

これを人間関係に置き換えますと、「いったん、他人の顔色をうかがい始めたら、とことん知り尽くさないと、気が済まない」というような状態となり得ます。他人からの賞賛、報酬を期待して、自分を抑えて頑張る、ということになります。メニエール病患者自身に、このような性格、行動様式を自覚させることが、治療を進ませるという説もあります。


さて、話は歌に戻ります。
「春の小川」とは、いったいどの川だったのでしょう?
今、「春の小川」はさらさら流れているのでしょうか?

実は、ほとんどその姿を消してしまっています。

なぜなら・・・。

春の小川の流れていた跡には現在「渋谷109」をはじめとする現代的な建物が、がんがん建っているからです。現在残っているのは「渋谷川」として、ほんのわずかの部分だけです。

「春の小川」は「河骨川」という宇田川の支流であった川をモデルとして、作られた歌なのです。

河骨川は、第2次世界大戦後、復興を目指す人々の手で、暗渠化されました。現在は下水道化されています。それは、戦後日本の復興を目指す上では、必要なことだったかもしれません。20年、30年経ったときに、どのような影響が出るか、ということまで、考えられなかったというのは、仕方がなかったのかもしれません。

しかし、現在の渋谷109やその周辺の風景に象徴される若者文化を見て、日本人は手放しで喜ぶことができるでしょうか? 今の春の小川跡地をみて、作詞者・作曲者のお二人は、どう思っているんでしょうか?

川は自分の意思を主張できません。人間の言いなりになるしか、ありませんでした。しかし、長い時間がかかりましたが、自然破壊・環境破壊というものは、簡単に元に戻せないような、重大な問題であることに、人間の側も少しは気づき始めたとも、言えるでしょう。

メニエール病患者にとって、他人の言いなりになること、他人の顔色をうかがうということは、あまりにも当たり前の事ですので、今更そのような行動様式を変えることなどできない、と思われるかもしれません。しかし、今、少しだけ勇気を出すことが、何十年後の自分を変えてくれるかもしれません。今、少しだけ「自分の意見」を持つことが、人生のターニング・ポイントとなるかもしれません。

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