「友達と離れてしまう」ということは、とても悲しい。それが卒業や転職などに関することであれば、「また会える」と思えるかもしれない。だけど、友達関係は一方が「付き合えない」と宣言したということが、一度でもあると、もうおしまいだ。
最近、そういうことがあった。私はその言葉を受けて、悲しいと思った。はっきりいって何日も、一人になると号泣するという日が続いてしまった。
でも、第三者の方から「今のふゆうに、このようなことを言うのは、大変酷だと分かっている。分かっているが、彼女のことをどうか、大目に見てあげて欲しい。彼女は自分の置かれた環境が変化して、気分の変調が激しいのだ。それでハイになっていて、ふゆうにその波をぶつけているだけなのだ。ふゆうを傷つけてやろうと思ったのではなく、ふゆうにはこのくらい言っても・・・と甘えているのだ。だから、今すぐは許せなくてもいい。でも、数ヶ月たったとき、もしも許せるって思ったら、そうしてあげて欲しい」とのお話だった。
私は頭が混乱した。
表面的には元気なフリをしながら、心が空っぽになったような、どこにいても涙があふれてくるような、そんな日々が続いた。
そしてある朝、目が覚めたら、激しいめまいと難聴、喘息、胃けいれん、腹痛、不正性器出血・・・、あまりにも一度にたくさんの症状が出て、とても布団から頭が上げられないような状態になっていた。
そんな中で「桜(独唱)」を聞いた。森山直太朗さんの歌声は、聞こえづらい私の耳にも、よく聞こえる。
2番の歌詞が、胸に響く。これはおそらく、森山さんが想定していた内容とは違うのだけれど。。。
私の友人が「あのときは、ハイになっていて、とんでもないことを言ってしまった。ごめん」と言ってきたときに、自分がどう対処できるかということ。「いいんだよ。それより、あなたにとって大事なことが叶って、本当に良かったね」といえるだろうか、私は。
それとも私は未熟者だから、偽りの言葉しか言えず、終わってしまうのだろうか。
また、会いたいけど。。。
今は胸にグサリと刺された言葉の刃物が、鮮やかな血で染まっている。たくさんの涙で血を洗い流すことが、できればいいのに。
まだ心から噴出す鮮血が止まらない。たくさんの涙で洗い流せば、いつか心が痛くなくなるだろうか?
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友達だったNさんへ
こんなことになるなんて、思っても居なかった。あなたの言ったことを、本心だとは思いたくない私がいます。そんなことを本心から言うような人とは、長い間友情が続くはずはないものね。
たった一回でいいから、謝ってくれたら、私はNさんに「もういいよ、それよりおめでとう」って言える。。。ごめん、そこまでの自信はない。
矛盾してるけど、それでもNさんを信じたい心は、今もある。
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