先日、T先生との約束を果たした。
「戸籍のコピー持ってきたっ!!」
「おぉ・・・、ホンマや、こんなん書かれとったらびっくりすんなぁ」
「うん、びっくりした!!」
「訂正された経緯っていうのは、もう不明なん?」
「そうですね、分からないです」
そう、私の戸籍上の性別は、一度訂正をされているのだ。これは完全な役所のミスであったことが記入されている。
それから後のことになるが、戸籍上の性別を訂正することは、実は非常に難しいのだということを知ることになった。たとえば半陰陽の子どもが生まれた場合には、性別留保という手続きを行って、性別を記載しないという方法がある。しかし、こうした手続きをしない場合には、性別はいったん記入されると裁判をして変更するしかない。
私は自分の性別というもの、あるいは人間の性別というものを意識したのは、三度ある。
一度目は、婦人科の治療を受けていることを理由に「欠陥品」とののしられたとき。
二度目は、自分の戸籍上の性別のことを知ったとき。
三度目は、同性愛者と思われる人から好きだといわれたとき。
私は女性だからつらい思いをしたという経験はあって、たとえば「欠陥品」とののしられて、あまりの怖さに対人恐怖症に陥ってしまったときなどに、「女に生まれなければよかった」と思ったことがある。だけど「じゃあ、男だったら納得できたの?」といわれたら、それも違う。「じゃあ何になりたかったんだろう?」と言われたら、分からなくなる。
もしも、自分の戸籍がそんなことになっていなかったら、あるいはもしも、欠陥品だとののしられた経験がなかったら、私は性別というものについて、深く考えず知ろうともしなかったかもしれない。
ただ、その後、性同一性障害や半陰陽などの理由で、戸籍上の性別と、自分の「思う性別」「生物学上の性別」などが一致せずに、苦しんでいる方は、たくさんいるということを、知る機会を得た。
自分にはこうしたことを考えるチャンスがあったということを、今はよかったと思う。もしかしたら、知らずに済ませていたかもしれないことを、知る機会ができて良かった。これからも、もっとずっと、考えていきたいテーマだと思う。
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