私の晩ご飯がなかった。「今日は体調が悪いから、晩ご飯が作れない」と両親に連絡した。両親がそれぞれ弁当を買って帰って、食べてた。
だから自分の晩ご飯がなくて、すごくすごく、惨めな気持ちになった。「きいーん」と耳鳴りがして、心臓の音が耳に響いて、何も聞こえなくなった。
「コンビニ行って、ご飯買ってくる」。そう言いおいて家から出たけど、惨めで惨めで、なんでって思うほど惨めで、コンビニへ行けなかった。
私は「今日くらい、私の晩ご飯も買って欲しかった」と、どうして言えなかったんだろう?
家から出た途端に足がすくんで、しばらく夜空を見上げてて、そのまま家に引き返して「食欲ないから、後で買いに行く」って笑顔を作った。
私の祖母は、晩年、家事ができなくなったので、私がやっていた。ガスコンロの火を他のものに燃え移らせてしまったりすることも増えて、目が離せなかった。
祖母が入院してからは、病院へ通って、清拭、着替え、食事の世話から、人工肛門の装具の交換、おむつの交換まで、全部やった。一生懸命やった。
だから、祖母が見舞い客に「孫はどうせ、ろくな仕事もしてないから、介護をさせても構わない」と言っているのを聴いたとき、世界が崩壊するほどのショックを受けた。
あのときも「きいーん」という耳鳴りがして、何も聴こえなくなった。
祖母に「自分で着替えろ」「自分でフランジの交換をしろ」だの言うつもりはない。ただ、一言でいいから「毎日来てくれて、ありがとう」と言って欲しかった。
「ろくな仕事じゃない」「使っても構わない」と言われて、惨めだった。
そのときから、私は「誰のどんな言葉も、もう聞きたくはない」と思いはしなかっただろうか? 心の問題が私の聴力を奪ったという可能性は、ゼロではないだろうか?
たった一日、夕飯作りを休ませてもらった私は、そんなに悪い奴だろうか? 晩ご飯の心配もしてもらえないほど、悪い奴だろうか?
そうじゃないんだよ、多分。両親は、仕事が大変で気が回らなかっただけなんだ。
たった一言いいから「ありがとう」と言って欲しいと望む私は、そんなに悪い奴だろうか?
そうじゃないんだよ、多分。ただ、孫の私に介護の面で頼らなければならない、という事は言い換えれば「子どもによる介護を受けていない」ということだ。自分が一生懸命育てた子供から、「介護をしない」と言われた祖母の気持ちを、私は少しでも理解しようとしたことがあるだろうか?
他の人の「大変やったな」という言葉より、ある人の「ひどい話やなぁ・・・」という言葉に、一番ほっとした自分は、悪い奴だろうか?
「ヨイトマケの唄」という有名な歌がある。この歌に登場する親子は、直接の言葉を交わしたわけじゃないのに、お互いの姿を見るだけで、尊敬の念というもっとも大事なものを、そこに見出している。すばらしいと思う。
私はそうなれない。そうなれない私は、晩ご飯の心配もしてもらえないほど、悪い奴。
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