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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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( ..)φ

私がつらくて、苦しくて、口を開くとネガティブな言葉しか出てこないとき。

神様は何か「やること」を与えてくださる。
つらさ、苦しさ、ネガティブさに意識を向けなくてすむよう、他の何かを考えさせてくださる。

神様、ありがとう。
少しずつ、ご飯の味が分かるようになってきました。
もう少し、心が元気になったら、つらさや苦しさと向き合うことにします。

役立たずな自分。
それでも、まだ生かされている意味は何なのか、考えます。

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まず頑張ってから奇跡に出会う

「ザ!世界仰天ニュース」とか、それ系の番組で
「人知れず善行を積んでた人が、奇跡の出会いにより幸せに」
「過酷な人生を頑張って生きてた人に、奇跡の大逆転が」
みたいな話がある。

「自分もこんなことが、起こるといいな」と思うけれど、ほぼ同時に「まず善行積んでから言えっ」「まず頑張ってから願え」ってつっこんでしまう。
いくら奇跡の出会いがあっても、奇跡に見合うだけの人間になれてないと、チャンスをモノにできないだろうから。

宝くじだって買わんと当たらないし、何事もまず頑張ってからの話だね。

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イヤな人間

何か頼みごとをされたときや、身内の急病などのとき。
「この忙しいのに……」
「自分の面倒は自分で見たら?」
という気持ちがわいてしまう。

そんなとき
「自分はイヤな人間になってる」
と思う。

もちろん、そういう気持ちになることくらい、たまにはあると思う。
でも、そういう気持ちの根底には「まず第一に、自分が可愛い」「他の人は自分の次」という気持ちがある。

いっぽうで、どんなに忙しい時でも、目の前で人が転んだら助けるだろう。
そのときには、「無私」の状態になれると思うのだ。

「無私」の状態になれることを知っていながら、なれない。
そんな自分を「イヤだな」と思う。

目の前の人を助けられないのに、「私はいい人間だ」なんて思えない。

まぁ「無私」ばっかりの人生も非常にしんどい。
それは、自分の人生ではなくなってしまうから、バランスは大事だけど。

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当時できていなかった何か

昔、ある人と話し合う約束をしていた。

その日、約束の場所へ行ったら、その人は
「急用ができて、話せない」
とだけ言って、去ってしまった。

急用なら仕方ない。こっちが先約だから何が何でも優先しろとか言わない。

でも、私のことを少しでも気にかけてくれているなら、他のやり方があったと思うのだ。会えなくなったことを、誠心誠意詫びるとか、違う日の約束を改めてするとか。

その人にとって、私はどうでもよい存在なのだと思った。

ところが、その人は
「何が悪いのかわからない」
というのだ。
「完全なすっぽかしではなく、忙しい中で待ち合わせ場所まではいったのだから、いいじゃないか」
「文句を言う前に、他の用事を置いてでも、優先したくなるような人間になればいいじゃないか」

あれから10年以上も経った今、思うのだ。
「待ち合わせ場所までは……」
という部分は、やっぱり同意できない。
約束を破らなければならない時点で、ちゃんと謝ってくれてもよかったんじゃないかという気持ちはある。
ただ、
「他の用事を置いてでも、優先したくなるような人間に」
の部分は、「確かにそうかもしれない、私にも問題があったのかもしれない」と思うのだ。

自分の存在が軽く見られていたと認めるのは、つらいことだけれど。
でも、「軽く見られないために、私の存在意義を認めてもらうために、何ができたのか?」「今の自分には、当時できていなかった何かが、できるようになっているか?」を考えることで、その当時の自分を癒せるような気がする。
「あんな風に置き去りにされるのは、もう嫌だ」と、どこかおびえている自分に、「大丈夫、あのときよりも、色々なことができるようになっているよ」と言ってやれたらいいな。

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「どうせAの味方」

「Aという人が、ひどいことをした」
という訴えを頂いたとする。

そういうメールなどを私に送ってくる時点で、その人は興奮している。
見ず知らずの他人である私に、そういう訴えをしてくること自体が、「興奮している」ことの表れだ。

興奮ゆえに、メールの趣旨が分かりづらかったり、事実と思いが混同されていたりするので、こちらから何かを聞きなおさなければならないこともある。

そこで問題が生じる。
「聞きなおす」ことは、私にとって反論ではなく、「もっと情報を与えてほしい」というお願いなのだけれど、
「煙に巻こうとしている」
「どうせお前は、Aの味方だろう」
「話すだけ無駄だ」
とキレられてしまうのだ。

初めのうち、私は
「双方の感情をおさめるためには、『誤解を解く』ことが一番大事」
「それができない私はダメだ」
だと思っていた。

でも、なんか「これでもいい」ような気がする。
誤解を解くことができれば、もちろんいいんだけれど。

一番大切なことは
「興奮している気持ちのやり場を見つける」
ことであり、メールを送る人は、「やり場」がAさんとの間で見つからなかったから、私に訴えているのだ。

ご本人の興奮さえおさまれば、
「Aさんの言うことももっともだな」
「自分の言い分にも間違いがあったかもしれないな」
と、ご本人が自分で考えられるだろう。

私が「どうせAの味方」であるのは、多分事実なんだし、それならば私にできることは、ここまでなんだろう。
私が預かった「興奮」は、いつか別の形で発散させればいい。

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