"Green, Green Grass of Home"は、 Claude "Curly" Putman, Jr.が書いたもの。トム・ジョーンズ氏が歌ったことで、世界的に知られる歌となった。
日本では森山良子さんの「思い出のグリーングラス」が知られている。ただ、森山良子さんの歌は、1番2番は原曲と同じ意味合いだが、3番の歌詞が大幅に省略されているため、歌の意味全体が変わっている。
※これ以下の文章は、「森山良子さんの歌が好きだ」という方には申し訳ない内容かもしれない。
"Green, Green Grass of Home"の3番で、主人公は目を覚まし、今までは美しく、懐かしい故郷を夢に見ていただけだと気付く。夜明けには、看守と神父に両腕を抱えられ、彼は歩くのだろう。おそらく刑場への道のりを。
"Green, Green Grass of Home"には、「彼がどのような罪を犯して、死刑を宣告されたのか」「罪に対してどう思っているのか?」が書かれていない。そうすると気になるのが"a sad old padre"という表現だ。
"sad"には「くすんだ、地味な」という意味もあり、神父が簡素な服装をしていることを指すのかなとも思うけれど、それだと話が発展しないので、ここでは置いておくことにする。
では、神父は何を悲しんでいるのか?
・主人公が神父の前で反省しつくし、犯行時の心境とは変化した何かを神父が知っているから、死刑がもう回避できないことについて悲しんでいるのだろうか?
・主人公が、まるで悔悛の情を見せないことを、嘆いているのか?
・社会問題としての「減らない犯罪」を憂えているのか?
・どんな人が亡くなるときにも見せる悲しみを、死刑囚に対しても抱いているのか?
・実は主人公の悲しさが、神父の姿に投影されて、悲しい表情をしているように見えるのか?
囚人と向き合い続ける神父の気持ちを、今日はあれこれと想像し、考えてしまう。
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