"Shine Jesus Shine"は、タイトルからも分かるように「神のお与えくださる光」をテーマにしており、"shine","light","brightness","glory"といった言葉がたくさん使われる。
「輝く笑顔」「輝かしい実績」などの言葉があることから、人間にとって「輝く」ということは、何か特別な出来事なんだと思う。
ただ、光が存在するところには、必ず陰が生まれる。人間は光と陰の両方を行き来しながら、自分にとって気持ちのいい位置を見つけいくのだろう。
昔、私の体がとても弱っていたとき、朝が来ても窓を開けることができず、いつの間にか暗闇で過ごすことのほうが、心地よくなった。そのことの何が悪いのかも分からないでいた。
ある日、たまたまラジオをつけたら高校野球か何かをやっていて、"St. Paul's will shine tonight"のメロディが聴こえた。「そういえば"tonight"に"shine"ってどういう状況だろう? 現代でいうライトアップされた状態?」と考えているうちに、なんとなく光を浴びてみたい気分になった。
自分の部屋の窓はかなり重いので、部屋からずるずると這い出して、隣の部屋の窓に近づいた。すると、まだ窓を開けてはいないのに、蛍光灯の光の量とは比べ物にならないくらいの、でっかい光の塊が降り注いできたように感じ、改めてびっくりした。
私にとって"Shine Jesus Shine"は、その時の衝撃を思い出させてくれる歌でもある。
そしてもう一つ、私の英語能力は低いので、間違っているかもしれないのだけれど。
"Shine Jesus Shine"の中に
「私たち一人ひとりが主(神)のように、いつも輝きを持つ人間になって、主(神)のことをもっと人々に伝えられるようになろう」
という願いが込められているように思える部分を見つけた。
私は、仕事やセミナーのレジュメ、耳のHPなどの様々な場面で文章を書いている。その中で思うことは
「誰かの役に立ちたいという思いで書いた文章は、推敲が足りなかったりしても、何か目に留まる輝きがある」
「技術だけで書いた文章は、いくら正しくても、埋もれてしまう」
ということ。
主は常に、私たちの幸せを願ってくれている。だから常に輝いていられるのだろう。
人間が闇にとらわれないようにするには、主の光を求めるか、自分が光になるかしかない。「誰かの役に立ちたい」「誰かの心を照らしたい」という思いを、私は持ち続けられるだろうか?
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