2009年6月1日、ある一通のメールが届きます。相手方のプライバシー保護のため、どういう関係の人かというのは書きませんが、少なくとも私にとっては、大切な存在の人でした。
その日書いた文章がありますので、ここにそのままコピーをしておきます。この気持ちは、今でも変わっていなくて「怒る」ということよりも「うまい」と思ってしまった、それが正直な気持ちです。
■不謹慎かもしれないが「うまい」と思った絶縁メール
「私はふゆうと付き合いたいと思っているが、配偶者が病気の人との付き合いを嫌がっている。だから今後のお付き合いは、遠慮したい」という絶縁メールが来た。
不謹慎かもしれないが「うまい」と思った。こういう言い方もあるのか、と。
この言い方だと「確実に絶縁」できて、なおかつ「絶縁したいのは自分じゃない」と主張できる。さらに数年が経ったとき「配偶者を説得した」といって復縁できる可能性もある。
私は配偶者の方と面識がないし、事実がどうだったのかの確認もできない。おそらく「押しかけていって、本当にそう言ったのかを確認する」なんてことは、大人ならしない。
うまい。ぐぅの音も出ない。
正直、私自身も今だに「ショック」よりも「感心」が勝ってしまってる。
ただ、くれぐれもお断りしておくが「言い方がうまい」と思っただけで「病気を理由に絶縁することに、心から賛成、納得している」というわけではない。逆に私以外の誰かが、病気になった場合に、そのことを理由に絶縁するっていうのは、私は考えないし。
もしも万が一本当に、そういう意見を心から言うような「配偶者」がいたら、そういう差別的な感情を持つ人と一緒に暮らすのも、結構大変だと思ってしまう。でも、この点は真偽の確かめようがない。
借金を頼まれたときに「私は貸してあげたいのだけれど、親が決して許さないんだ」といった言い方で、断ることがある。それと似ているのだろう。「嘘も方便」って言葉に近いのかなぁ。
うーん、うなった。。。
6月2日、この絶縁メールを受け取った翌日は、耳鼻科の予約がある日でした。
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