※この記事は、事実そのままではありません。先生の言葉に、自分が付け加えた言葉があります。※今日、婦人科のT先生に様々な事情をお話して、薬のことも相談した。介護する側のあなたが、ぶっ倒れないように、といった話の後、最後に、T先生がおっしゃった言葉が印象的だった。
「おばあさんは、よくなるよ」
この言い方(イントネーションや、発音など)が、祖母の主治医の先生とすごく似ていたので、驚いた。
治療を受けていない場合には、悪くなるか現状維持しかなかった。でも、治療を受けている現在は、昨日より今日、今日より明日のほうが、「よくなるよ」。これは、確かにその通りだと思う。
「よくなるよ」と言ってくれた、T先生の気持ちが嬉しかった。
※この記事は、事実そのままではありません。先生の言葉に、自分が付け加えた言葉があります。※M先生の診察がずっと先なので、寂しい、もしも、M先生の診察へ行けば、ストーマ・人工肛門のお話が聞けたかもしれない、と話をした。
祖母の主治医の先生は、M先生のようにでっかい。S先生もでっかかった(ちっちゃくはなかった)。でも、祖母の病院にいくと「でっかくない外科の先生はあまりいない」という思い込みは、単なる思い込みに過ぎないな、ということが分かる。いろんな先生がいらっしゃる。
また、T先生だけではなく、喘息の先生とも話をしたことだが、緊急の場合の「疲れた」という場合に、抗うつ剤や精神安定剤を、一時的に使用して介護を続けるのはいいが、これをずーっと続けるわけには、いかないということ。そんな介護は続かない。それは、祖母にも自分にも良くない、ということ。
「よくなる」っていうことが、誰かの犠牲の上に成り立っていたとしたら、患者本人が「他人が犠牲にしたことは何か」をいずれ知るかもしれない。知ったときに、どう思うか、という問題もある。
少しずつ、他の人の助力も借りながら、進んでいこうと思う。
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