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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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いつか私のことなど、忘れてください(小さな幸せレシピ19)

※※※小さな幸せレシピは、医学的根拠に基づくものではなく、私の趣味に基づくものです。素っ頓狂な方法も含まれている可能性があります※※※

私は、内リンパ嚢開放術を受けるために入院していた間、お医者さんに本当によくしていただきました。私はお医者さんの話を聞いているのが好きでした。私もたくさんの話をしました。

退院後も、先生によくしていただき、私も先生の勧める検査をきっちり受けることで、先生の術後データが充実するといいと思って、検査を受けたり、イソバイドを減らしていったり、色々と取り組んでいきました。

その後、このブログを運営することになりました。すると、「これから内リンパ嚢開放術を受けることが決まっているけど、不安があるんです」という方の問い合わせ、「手術に興味がある」という方からの問い合わせが、増えるようになりました。私は、不足だった点も多々あるとは思いますが、それでも、できる限りのお話をさせていただきました。

でも、手術を受けてから今までのずーっと、満足・納得のいく方法で、そうした「他の人の相談に乗る」ということを、続けられたわけではありませんでした。私自身の知識不足や、ほかに用事があってどうしても、問い合わせくださった方に、充分対応できたとはいえないことも、ありました。

また、さびしかったこともありました。それは、一生懸命にお話をさせていただいたとしても、何度もメールのやり取りをした、という場合でも、「その人が手術を受けて、元気になったら、音信が途絶えてしまう」ということも、多々あったからです。このことが、真剣にさびしかったこともありました。

しかし、よく考えたら、これは随分、わがままな話です。おそらく、メニエール病や内リンパ嚢開放術というのは、非日常であったほうがいいのです。

手術をして、メニエール病が良くなった暁には、手術のことも、病気のことも、美辞ん堂ふゆうという人間のことも、きれいさっぱり忘れて、健康な日常へ戻っていく。

それが、患者さんにとって、幸せなのではないか。私のことなど、忘れてしまって、音信が途絶える。そのことは患者さんが、非日常から日常へシフトしたという証なのではないか。

最近、そのように思うのです。

今でも、もしもこのサイトを見て、手術を受けようという気になった、という人がいれば、私は嬉しいです。元気になった方から「手術が成功しました」というご連絡をいただければ、私は嬉しいです。その気持ちに変わりはないです。

でも多分、それは私の側の幸せをいっているだけであって、本当に患者さんの幸せということを考えるなら、「元気になったら、私のことなど忘れてください」といえるほうが、いいのかもしれません。

いつか、私のことなど忘れてください。

でも、もしもまた、苦しいときが来たら、ふと思い出してみてください。「こんなサイトがあったな」「あの変なハンドルネームの管理人、元気なのかな?」って思い出してみてください。

内リンパ嚢開放術を受けてから、8年程が経過しようとしています。自分から「非日常」に残ることを選んだ私は、これからも事情が許す限り、皆さんから頂いたメッセージにはお返事をしていきます。

でもどうぞ、元気になったら、私のことなど忘れてください。私はそうやって「健康な日常」に戻ることができた人を、お見送りすることが、一番幸せなのですから。

※※※小さな幸せレシピは、医学的根拠に基づくものではなく、私の趣味に基づくものです。素っ頓狂な方法も含まれている可能性があります※※※

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黙って失踪することは、美しいことではない(小さな幸せレシピ18)

※※※小さな幸せレシピは、医学的根拠に基づくものではなく、私の趣味に基づくものです。素っ頓狂な方法も含まれている可能性があります※※※

メニエール病の発病・重症化には、ストレスが大きくからんでいるという説があります。私にも、今にして思えば、対人関係で「ぶつかる」ということを避ける気持ちが、ストレスにつながっていたのだろうと思います。

ぶつからない、自己主張をしない、ということは、人に譲る・謙譲という気持ちの現われであり、場合によっては「美しい行い」ではあります。しかし、ある日突然「こんな私は本当の私じゃない」と我慢が切れてしまうことは、怖ろしいことです。私の場合は、それがメニエール病の発作を起こすこと、あるいは転換性障害、胃痙攣といった症状を起こしてしまうことだっただろうと、今は感じられます。

さて、私は最近、2冊の本を読みました。

「絆」小杉健治
「ジャンプ」佐藤正午

「絆」は「真実を知らせると、傷つく人がいるから、黙っている。傷つけないためには、自分が殺人犯になってもかまわない」と考える被告人と、真実を暴いて無罪を勝ち取ろうとする弁護人の対立について描いた物語です。被告人は、「黙っていることが、他人を傷つけないこと」と想っているようですが、物語の途中から、私にはとてもそうは思えなくなってしまうのです。というのは、被告人がとらわれている過去とは、何の関係もない現在の家族や親戚が、どんどん巻き込まれていっているからです。人とぶつからずに、自分だけが罪を償うことは、究極の自己満足ではないのだろうかと、考えてしまいます。

いっぽう「ジャンプ」は、黙って失踪した恋人についての話。5年経ってから再会したとき、恋人は「なぜ失踪したのか」の真実を教えてくれますが、それは主人公や現在の家族を、とても傷つけるような内容だったのです。ネタばれになってしまいますが、いうならば「今まで(恋人の失踪後、現在まで)に何年もにわたって、関係を築いてきた人は、そんなひどい人だったのか」という真実が、明らかにされてしまうということです。

5年前にその事実を聞いていたら、主人公は現在の家族を持っていないかもしれない。その意味では、恋人の「黙っておけば、傷つけないで済むかもしれない」といった思いは、5年たって、より静かに、そしてより深く、深く、主人公を傷つけてしまったもののように思えて、なりません。

偶然ですが、この二冊を続けて読んだことで、私は自分の来た道を振り返ることができました。

「黙っておけば、傷つけなくて済む」

そう考える傾向が、私にはありました。それは、正しい面もあります。思ったことを全部、何でも告げていたら、どんな人間関係も、とてもつらいものとなってしまいます。

しかし、「何も告げずに、黙って姿を消す」ということを、私もやってしまったことがあります。

「本当に大事な相手なら、黙って待っていられるか?」
「心配して、半狂乱になって、相手を探すのでは?」

こんな当たり前のことが、この二冊を読んで、胸に迫ってきました。

黙って姿を消すことは・・・失踪とはいわないまでも、黙って電話番号やメールアドレスを変えて、返事も一切しないで、共通の知人とも、全部の連絡を断ってしまう、ということは・・・、ぶつかった結果ではなかった場合には、相手の心にぽっかりと穴を開けてしまい、相手の心を逆に縛り付けてしまう、罪深い行為なのかもしれません。

メニエール病にかかると、突然の発作が起こるかも知れず、約束をしていても約束どおり会えない、という事態は、起こることがあります。これは大変困ることではあります。しかし、そうした事情も説明されずに、突然「会えない」と告げられた人の気持ちを、私は考えたことがあっただろうか。会う約束をしないで、「寂しいけれど、人に迷惑をかけるよりはいいんだ」という思いは、一見正しいし、美しい行いに見えます。また、マナーの上で「私は病気よ」と言い立てることは、失礼にもあたりますので、必要以上に「メニエール病だから会えない」という強調をすることも、必要ないでしょう。

ただ、長い付き合いをしたい人には、いずれ話をしなければいけないときが来ます。相手を大事に思い、長い付き合いをしなければならないとしたら、メニエール病のことも話をしなければならないし、そして、何においても「ぶつかってでも」話し合わなければいけない、大事なことが出てきます。

「ぶつからない」という選択ばかり続けていると、お互いの本音が分からないで、腹の探りあいが続いていきます。そしてやがて疲弊してしまい、関係そのものが続かなくなっていくことでしょう。

私の来た道を反省したい。この二冊の本を読んで、「黙って失踪することは、美しいことではない」ということを考えたからこそ、心からの反省をしたいと、私は思っています。

※※※小さな幸せレシピは、医学的根拠に基づくものではなく、私の趣味に基づくものです。素っ頓狂な方法も含まれている可能性があります※※※

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http://archive.mag2.com/0000273312/index.html

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「夜回り先生」の変化(小さな幸せレシピ17)

※※※小さな幸せレシピは、医学的根拠に基づくものではなく、私の趣味に基づくものです。素っ頓狂な方法も含まれている可能性があります※※※

「夜回り先生」として有名になった水谷修先生の本を、読んだことはありますか。 本や水谷先生のお話は、漫画化もされていますし、多数の講演を行なわれてもいますので、夜回り先生をご存知の方は、多いでしょう。

しかし、「夜回り先生のねがい」という本を「これを最後の本とする」とおっしゃっています。もちろん、本に書けないご事情も多数おありのことと思いますが、大きな理由として「子供を追い込んだ大人を憎む」という観点に、偏り過ぎていたことの反省、を挙げられています。

メニエール病が重症化して苦しんでいる人の中には、周囲の理解を得られず苦しんだ、という方もいるかもしれません。また、そもそも周囲とうまく行かない、人間関係のトラブル、過労などでストレスがたまっていて、メニエール病になってしまった、という人もいるかもしれません。私も、そういうところがありました。

今、苦しんでいるあなたに、一つの考え方として提案できることがあります。

その提案の前に、夜回り先生の本についてのお話に戻ります。水谷修先生は、このシリーズだけではなく多数、発売がされています。

しかし、初めの頃のものと、最近のもので大きく異なる点があります。

それは・・・。

「なぜ、子供たちが苦しい状況に追い込まれたのか」

という点を重視する書き方だったものが、段々と

「どうやって立ち直っていったのか」

を重視する書き方へと変わっていっていることです。

ひとつの大きな理由は、「過去を癒してから、未来へ向かう」という方法には、時間がかかるということ、「余計つらくなる」という場合があることなども、理由でしょう。

私にも、医師のもとで、そのような治療(暴露法など)を受けたことがあります。それは、一定の効果があったことは、確かです。しかし一方で「余計つらくなる」時期を、どう乗りきるかという問題も、実感として迫ってきました。私には信頼できるお医者さんがいましたが、水谷修先生のように、たくさんの「生徒」さんがいらっしゃる人が、その全部を引きうけていくということは、あまりにも、大変だっただろうと思います。水谷修先生は「過去のことはいいんだ。今日から生まれ変わるんだ。明日をつくっていこう」という論調に、段々と変わっていかれています。

変わったもう一つの理由として「子供を追い詰めたり、放置したりした大人を憎む、という視点に偏り過ぎたのではないか」という反省を挙げられています。大人だって、何らかの苦しみを抱えていたのではないか? 子どもを追い詰めてしまった後、後悔していたのではないか? 本来、大人とは優しいもので、幸せとはすぐそばにあるもの、それに子供たちが気付く機会を、もっと持てればよかったのではないか? こうした論調に変わっています。

メニエール病は、他の病気や怪我とは異なり、他の人から見て分かりづらい症状が多いです。そのために、周囲の人から怠け、サボりだと思われて、つらい思いをした場合もあるかもしれません。症状が重症化して、仕事や学校を休まざるを得なくなったかもしれません。

しかし、このとき「発病・重症化したのは、自分以外の誰のせい、何のせいであったのか?」を考えることは、この際、やめてみませんか? 水谷修先生もおっしゃるように「今日から、どうやって生きて、どういう明日を作るのか」ということのほうが、大事に思えてきませんか?

もちろん、今後、重症化させないために、「何がいけなかったのか?」を考えることは大切です。しかしそれは、「未来のための分析」であれば有効ですが、後悔であれば、哀しいだけです。

過去を思えば後悔ばかり
未来を思えば不安ばかり

病気のときは、こうした心境になりやすいものです。この言葉は裏を返せば「今」が抜け落ちている、ということでもあります。今つらいのは、あなただけのせいでは、ないかもしれません。誰かのひどい言葉、ひどい行動が原因だったかもしれません。しかし、あなたの人生を誰かに代わってもらうわけにはいかないのも、事実です。

水谷修先生は、最後の本の最後で、子供たちへ「憎んでもいいし、泣き叫んでもいいから、大人に心を開いてみて」と呼びかけています。

メニエール病を理解してくれなかった誰かに、心を開くことは、難しいかもしれません。しかし、怖いのは「どうせ誰も理解してくれない」と、自分から目をふさぐことで、「本当に理解しようと努めている誰か」を締め出してしまうことや、「無理解を反省して、明日をともに作ろうとしてくれる誰か」を拒絶してしまうことです。

私も、人の優しい心がわからなくなった時期がありました。しかし、何年も経ってからですが、その方が「あなたの苦しみを分かった」と告げてくれたとき、何年分もの悲しみ・苦しみが一気に溶けてしまった経験があります。残念ながら「苦しみがわかった理由」が「その人自身が病気になったから」という者だったので、とても複雑な気持ちになったり、むしろ「そんな分かり方なら、してくれなくても良かった」という気持ちになったりしました。

「どうせ誰も・・・」と決め付けないで、少しだけでいいので、心を開いてみてください。

私は、「過去を癒してから、未来へ向かう」という方法にも、一定の効果はあると信じています。私もそれで癒された経験があります。専門家の指導のもとでそのような治療を受けられるのが、理想的でしょう。

しかし、「そこまでは・・・」と思うのでしたら、自分で「自分史」を書いてみる、というだけでも、ずいぶんと癒される場合があります。「ライティング・ヒーリング」という方法が実際にあり、これも専門家の指導のもとで行うことは理想的ですが、自分で書いてみるだけでも、ずいぶんといやされます。また、森田療法という精神療法にも、日記を用いた治療法があります。

私は、かつて書いたことがありますが、読者の体験談を漫画化して、1万円の原案料をくれる(賞を取れば30万円という場合も)、といった企画を行なっている雑誌に、採用してもらって1万円をもらったことがあります。こういう雑誌に投稿して、漫画化された体験談を読むと、なんだか癒されます。どの作品かはおおっぴらには書きませんが、今でもその漫画を手元においています。

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「春の小川」はもう流れていない(小さな幸せレシピ16)

※※※小さな幸せレシピは、医学的根拠に基づくものではなく、私の趣味に基づくものです。素っ頓狂な方法も含まれている可能性があります※※※

「春の小川」という歌を、聞いたことがおありでしょう。

「春の小川」作曲・岡野貞一 作曲・高野辰之
【引用始まり】 ---
春の小川はさらさら流る
岸のすみれやれんげの花に
匂いめでたく色うつくしく
咲けよ咲けよとささやく如く
【引用終わり】 ---

さてイタリックで表現した部分「流る」「如く」は、現代の小学生の言語知識にあわせて、書き換えがされて、音楽の教科書に掲載されています。

「流る → ゆくよ」
「ささやく如く → ささやきながら」

このことの是非については、ずいぶん論議がされていた記憶があります。
「もとの歌のもつ雰囲気を壊してしまう」
「現代の小学生にとって、難しすぎる言葉を遣うと、音楽の授業が楽しくなくなってしまう」
どちらにも、一理がありますし、どちらにも「そうではない」と反論すべき点があります。

「もとの歌のもつ雰囲気を重視するあまり、敬して遠ざけられるような存在になるのも、もったいない」
「現代の小学生にとって、難しすぎる言葉であっても、音楽をきっかけに覚えることができればいいのではないか」
とも言えるからです。

「永久に変わらない」
「時代に合わせて簡単に姿形を変える」

どちらにも利点・欠点があります。

メニエール病の人、特に重症化させてしまう人の性格として「相手の意向によって、自分の意見を変化させることができる」という長所・短所を抱えている人がいます。「さらさら流る → さらさらゆくよ」の変化を肯定できるタイプの人です。

長所・短所と書いたとおり、これは悪い点ばかりではありません。「全員が自分の意見を曲げない」「他人の顔色・その場の空気が読めない人ばかりが存在する」という世界は、おそろしく暮らし難いということは、簡単に想像がつきます。

しかし、困った点もあります。逆に考えてみると、それがわかります。「全員に自分の意見がない」「他人の顔色をうかがう・その場の空気に従う人ばかりが存在する」という世界も、おそろしく暮らし難いです。

「他人の顔色を伺う」ということは、一見「美しい行ない」に見えます。しかしこれは、裏を返せば「自分には、他人の要望にこたえる能力がある」という思い上がりであったり、「他人の要望にこたえて、賞賛を得たい」という自己顕示欲の現われであったりします。「他人の顔色を伺う」ことが、行きつくところまで行ったものがヒステリー性格とか自己顕示欲性格というもの、かもしれません。

一方でメニエール病を重症化させてしまう人の性格として「一度取りかかったことは、とことんやりぬく」という性格を持つ人がいます。「春の小川」で言えば「さらさら流る」を貫くというタイプの人です。

メニエール病患者の中には、この両方が存在します。

「春の小川という歌を、何がなんでも教科書に載せておきたい」という観点からみれば、多少の歌詞の変更してでも載せる、という考え方が一つあります。一方で、何がなんでも「さらさら流る」のままがいい、という人は、教科書から消えようと、どうしようと「さらさら流る」と歌いたいと思うのです。このように「何をメインに据えるか」という価値観の違いはありますが、「とことんやり抜く」「時代の変化を反映する」は両立できるものなのです。

これを人間関係に置き換えますと、「いったん、他人の顔色をうかがい始めたら、とことん知り尽くさないと、気が済まない」というような状態となり得ます。他人からの賞賛、報酬を期待して、自分を抑えて頑張る、ということになります。メニエール病患者自身に、このような性格、行動様式を自覚させることが、治療を進ませるという説もあります。


さて、話は歌に戻ります。
「春の小川」とは、いったいどの川だったのでしょう?
今、「春の小川」はさらさら流れているのでしょうか?

実は、ほとんどその姿を消してしまっています。

なぜなら・・・。

春の小川の流れていた跡には現在「渋谷109」をはじめとする現代的な建物が、がんがん建っているからです。現在残っているのは「渋谷川」として、ほんのわずかの部分だけです。

「春の小川」は「河骨川」という宇田川の支流であった川をモデルとして、作られた歌なのです。

河骨川は、第2次世界大戦後、復興を目指す人々の手で、暗渠化されました。現在は下水道化されています。それは、戦後日本の復興を目指す上では、必要なことだったかもしれません。20年、30年経ったときに、どのような影響が出るか、ということまで、考えられなかったというのは、仕方がなかったのかもしれません。

しかし、現在の渋谷109やその周辺の風景に象徴される若者文化を見て、日本人は手放しで喜ぶことができるでしょうか? 今の春の小川跡地をみて、作詞者・作曲者のお二人は、どう思っているんでしょうか?

川は自分の意思を主張できません。人間の言いなりになるしか、ありませんでした。しかし、長い時間がかかりましたが、自然破壊・環境破壊というものは、簡単に元に戻せないような、重大な問題であることに、人間の側も少しは気づき始めたとも、言えるでしょう。

メニエール病患者にとって、他人の言いなりになること、他人の顔色をうかがうということは、あまりにも当たり前の事ですので、今更そのような行動様式を変えることなどできない、と思われるかもしれません。しかし、今、少しだけ勇気を出すことが、何十年後の自分を変えてくれるかもしれません。今、少しだけ「自分の意見」を持つことが、人生のターニング・ポイントとなるかもしれません。

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