更新を楽しみにしているブログがある。「遺品整理屋は見た!!」という本になる前から、ずっと楽しみにしていた。
現実ブログ「現実にある出来事の紹介」
http://blog.goo.ne.jp/keepers_real「ともだちの友達はともだちだ!」という記事の中で、次のような言葉があった。
http://blog.goo.ne.jp/keepers_real/e/75a4ca9974d26d72dcdddc6316c77a25【引用始まり】 ---
親友の親友は親友にはなりにくいのです。
【引用終わり】 ---
あぁ、胸に響くな・・・。
確かに「親友の親友」というのは、「自分にとっても親友」とは限らない、ということを感じていた。
私は自分自身のエンディングノートを用意している。
なぜ用意しているかという、一番大きな理由は、取引先にかける迷惑を最小限にしたいということ。私が死亡してしまったり、意識不明といった状態になったら、取引先への連絡を遺族・家族に頼まなければならない。そうした場合に、遺族・家族が迅速に対応できるとういことが、取引先への迷惑を最小限に抑えることに、つながると思う。
そして次の理由が、連絡をして欲しい友人、知人を明らかにするということ。私は一度、友人関係を断って「生き直した」という経験がある。死に際まで「断った」という感情を引きずっているかどうかは不明だけれど、今のところ「万が一のことがあっても、連絡して欲しくない」という相手がいる。もしも家族が、年賀状用の住所録ソフトなどを探した場合には、その「連絡して欲しくない相手」というのが誰なのか、わからないままになる。だから逆に「この人には連絡して欲しい」ということを、書いている。
それと、資格試験の免許状などを返送して欲しいということも、書いている。入会している同業者団体に連絡をして欲しいとか。死亡した場合には、税務署に廃業届けを出して欲しいということも。銀行のこと、保険のこと、なども。
現代人だなと自分で思うのは、ホームページの運営・閉鎖についての希望、その方法、ブログの運営・閉鎖についての希望、その方法などを書いていること。
自分の希望する葬儀の形式とかは、まだ強く書いているわけじゃない。ただいわゆる「家族葬」に、とお願いするつもりではいる。
多分、ファイナンシャルプランナーなどの資格を持っている人の中には、「どうやって死ぬか、ということを考えるのは、どうやって生きるか、ということを考えることになるのです」という言葉を、講義・講演などのなかで、聞いたことがあるだろう。特に「ライフプランニングと資金計画」の分野の先生が、よく使う言葉だ。
私も、エンディングノートの用意のときや、さらに祖母の死や、知人の死に続けてあってしまったときに、「どうやって死ぬか考えることは、どうやって生きるかを考えること」という言葉に、深くうなずいたものだった。
私は、「死にたい」という言葉を、口に出したことがある。そのとき、Sさんという人に「他の何をやっても最終的には許すが、死んだらしばくし許さない」と言われた。少なくとも、Sさんにしばかれないように、生きたいと思う。
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