喘息の先生のところへ行った。痰がたまってる感じがして、昨日と今日、咳が止まらなかったので、ちょっとびびりながら受診した。
そして、次のことを話した。
・痰切りと咳止めの薬を飲む(ムコダインとアスベリン)
・外出は制限しなくて良い
・激しい運動はとりあえず止める(ヨガとかは良い)
「あの、昨日、耳鼻科へ行ったんですけど」
「はい」
「ちょっと具合が悪くて、イソバイドをしばらく飲むように言われました」
「あららら」
「で、ちょっと悩んでるんですけど・・・」
「ん?」
「あの、祖母の介護を結局一人でしてしまって、その途中で耳が悪くなったんです。それで、両親が『耳が悪くなるほど大変なんやったら、言ってくれれば交代してたのに』って言って、パニック状態になってる」
「うん」
「私は両親のパニックになっている気持ちを、どう受け止めればいいんでしょう?」
「・・・ふゆうさんの場合は、介護うんぬんを抜きにしても、悪くなってた可能性はあるやん?」
「はい、あります」
「それを言えばいいんちゃうかな。ご両親の気持ちは、私は分かる気がする。一人でさしてることを、ずーっと気になってたと思う。だから『介護、看病うんぬんとは別に、悪くなった可能性はある』と言う風に、根気良く伝えるのがいいんちゃうかな?」
「根気良く・・・」
「うん。ご両親も、すぐには納得できんと思うから、分かるまで言うしかないよな」
「根気良く・・・」
「そうそう。いずれは伝わると思うから、大丈夫や」
「はい」
今日はアスベリンとムコダインをいただいて帰宅する。今日もありがとうございました。ぺこり。
もしかしたら、私はめちゃくちゃ冷たい考えをしているのかもしれないけど・・・。
「今さら『交代してたのに』と言われても・・・」という不満が、私にあるのは確か。だけど、時間を巻き戻して交代することができない以上は、「交代しなかった」っていう事実を、引き受けてもらうしかない(と思う)。
これは、私の側にも言える。もっと強く「協力して欲しい」と言っていたら、状況は違っていたかもしれない。でも、それを「強く言わなかった」「伝わっていなかった」という事実や、その結果起こってしまったことは、私が引き受けるしかない。
正直言って、私は自分の状況を受け入れて、改善の努力をすることで手一杯で、人の気持ちをどうこうできるだけのパワーは、今のところない。
だけど「今になって、パニックになられても・・・」という思いは、冷たさの裏返しなんじゃないかと考えてしまう。
自分の大事な人が、体調を崩していたら、一緒になってパニックになりたくなる、というのが「大事」ということの一部だからだ。だから「落ち着け」というのは、「私を大事と思うな」と言っているようなものではないか、とも思う。
少なくとも、両親のパニックにつられて、私が一緒に落ち込んでたらどうしようもないので、もっともっと強くならなければと思う。
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