人間は自由に空を飛ぶことなど、まだまだできない。でも、自分の寿命が尽きたとき、この空に還っていくことができると、どこかで信じている。
桜の木の下で、そんなことを考えていた、今日の朝の話。
今日は耳鼻科へ行った。先生が「先、オージオ(オージオグラム、聴力検査)しといて」とおっしゃったので、そのようにする。
オージオグラムが済んでから、先生のところへ行く。実は、呼ばれたのが聞えなくて、先生が何度か呼んでくださった。
「こんにちは。ちょっと具合悪かったかな?」
「え、あ、え、あの、呼び出されたのに聞えなくて、すみません」
「それはいいねんけど、難聴の程度が進んでるねぇ」
「・・・え、あ、え・・・」←どんだけ
慌ててるねん自分・・・。
「症状は、どうやったんかな? なんか困ることは、なかったかな?」
「めまいは、なかったんですけど、あの前のとき、急に難聴を言われてびっくりして、そのまま言えなかったんですけど、あの、半年前に祖母が亡くなって忙しかった。それで、今も、実はもう一人の祖母が亡くなって・・・」←慌てて返答している私
「あぁあ・・・、そうやったんか・・・。それでまた出てしまったかなぁ・・・。今現在はめまいが出る前の段階なんやと思うわ、僕は。だから、イソバイドねぇ、飲みにくいやろうけど、少なくとも聴こえがちょっとでも改善するまでは、飲んだほうがいいと思うねん」
「はい」
「2週間分出しとくけど・・・、足らんやろなぁ・・・、まぁ薬だけでもいいんで、改善しなかったら来て欲しいねん」
「はい、来ます。あ、あの、イソバイドは美味しいと思うんです」
「そうですか。まぁ、そんな人は
あまりいてへんと思うけどね」
「はははは」
「まぁ、飲んでもらう方がいいので・・・。それと、次回の予約やけど・・・」
「多分、自分で思うには、半年後とかにしてもらうと、我慢してしまって来ないかも・・・」
「それやったら、二ヵ月後に一回、来てもらおうか。それまででも、聴こえが改善しないようやったら、イソバイド取りに来て」
「はい」
前は、診察が終わったら、もうショックでショックで、廊下が波打って見えるほど、ショックだった。でも、今回はそこまでのことはなかった。
そして処方箋もらって薬局へ行った。薬の説明をしてくださった。
「イソバイドは飲み辛いとは思うんですけど」
「私、結構好きなんですよ。
イケてると思うんですよ」
「・・・私は、長いこと薬剤師をしてますけど、そういう人を見たのは、ふゆうさんが
初めてです」
「はうう(TT)・・・」
病院から駅まで、バスで帰る方法もあるんだけど、実は歩いても大した距離じゃない。病院へ行くときはバスに乗るけど、帰りは歩くことにしている。
半年前、病院の帰りに歩いた道。秋口だったけれど、暖かかった。空が青くて高く、暖かい空気のなかにも「ぴーん」と緊張させてくれる何かが、混じり始めていたのを思い出す。
今日も、同じ道を歩いた。桜があちこちで咲いていて、優しい空気に包まれているような感じがした。桜の木の下から、ふと青い空を見上げたときに、桜の優しさと「空」というもののもつ懐の深さを感じて、少し涙がにじんだ。
人間は自由に空を飛ぶことなど、まだまだできない。でも、自分の寿命が尽きたとき、この空に還っていくことができると、どこかで信じている。
どうして疑いもなく、「空に還る」ことを信じられるのだろう?
私はどうして、桜の木の下で、こんなことを考えているのだろう?
私はさっき難聴の程度が悪化していると言われて、ショックを受けたはずなのに、どうしてこんな関係のないことを、考えているのだろう?
何を言われても「いずれみんな、空に還ることができるのだから、大丈夫」と思えてしまうのは、なぜだろう?
桜に囲まれた優しい空の下で、そんなことを考えていた、今日のお昼前。
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