忍者ブログ

普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

心理学の勉強をする理由

入院した日、心理療法士のLさん(女性)が訪ねて来てくださった。

私は放送大学のテキストに、ガムテープを貼ってタイトルを隠してから入院するつもりだった。なぜなら、医療のプロの方々の前で、自分がそんな基礎的なテキストを勉強しているのは、恥ずかしいような気がしたからだ。

しかし、うっかりしていて、テキストをそのままカバンに放り込んだことを後悔していた。

そして、入院した日は、看護師さんやZ先生とも話をしなければならず、ガムテープを買いに行って貼る余裕はなかった。Lさんにテキストを見られたときは、ちょっと恥ずかしかった。

でも「なぜ、心理学を勉強しようと思っているのか」を、Lさんに話すことができて、良かった。

「耳のホームページにメッセージをくださる患者さんは、病名がついたばかりだったり、手術前などで、普段と違う心理状態になってはりますよね。普段なら言わないことまで、しゃべってしまいます。後になって、しゃべったという事実を患者さんが後悔するようなら、私の接し方が失敗だったということになります」
「メニエール病という病気の性質上、手術が必要となる方はある程度の年齢に達しておられます。私はそれに比べて人生経験が浅く、『勘』だけで対処していくことには限界があると思ったので」
と話したら、
「大事な部分をちゃんとわかってらっしゃる」
と言ってくれはった。

「話したいことは、何でも言ってくださいね」
「あの、Lさんが美人だと思います」
「……」
「……何でもって……」
「ありがとうございます。手術がんばってくださいね」
「ハイ!」

本当にキレイだったんだもの。。。

拍手[0回]

PR

撮るのが好き

私が入院する1週間ほど前、
「看護学生がツイッターで臓器写真を公開した」
というニュースが流れた。

この学生には非があるのは確かだ。
●写真に添えられていた言葉は、献体してくださった患者さんへの侮辱であること
●そのような画像を見せられる側の心情を考えていなかったこと
など、様々な角度から「非がある」と言えるだろう。

このニュースが流れる前だが、私はK先生から、
「今回は、患部を直接撮った写真をホームページに載せないようにね」
と注意を受けている。

ただ、私は
「病気になってから慌てて知識を得るのではなく、まだ肉体的・精神的に余裕があるときに、あらかじめ知識を得ておく」
ということが、後にどれだけ役立つかを身をもって知っている。

それは、2008年の夏、S先生との話の中で起こった。
偶然に「内臓」の話題になり、S先生が病理学か解剖学か、そういった本を開けて見せてくれた。S先生がたまたま開けたページには「腸穿孔」の解説が書かれていた。腸に孔が空いている様子や、手術の進め方などが画像と共に掲載されていたのだ。

その3日後、私の祖母が腸穿孔になり、救急搬送・緊急手術を受けた。
執刀した医師の説明を受ける際には、「腸穿孔」のイメージをおぼえていたということが、私の気持ちをとても落ち着かせてくれたのだ。

その後、私のメニエール病が再発。
「オージオグラムの結果をコピーしてもらうように」
とK先生に促された。
紙製のデータをコピーしてもらうとともに、デジカメで撮影するようになったのはいつごろからだったか?

乳房の症状が激しくなり、1晩で汚れに汚れてしまうTシャツを撮影するようになったのは?

医用データ・医用画像について興味が深まり、医療情報技師試験まで受けてしまったのは、どういう心の動きだっただろう?

このような習慣が、ずっと続いているとはご存じないZ先生に、
「エコー画面を撮っていいですか?」
と聞いて、硬直されたのは仕方ない。

それ以来、ことあるごとに、
「撮っていい?」
「撮っていい?」
と聞く私に、
「写真撮るの好きじゃねぇ!」
と呆れたように笑ってくださったZ先生が大好きだ。

拍手[0回]

約束

S先生が、M先生のいてはる病院に移られることになったのは、今年の4月のことやった。
私は「じゃあ、私も移るよ」ってS先生に約束をした。

私はその約束を破ろうとしたことがある。

ある事情で精神的に追い詰められていた私は、
「私が病院へ行けば、S先生は私に構わざるを得なくなる。でも、私が行かなかったら、S先生は私のことを忘れはるやろうし、そのほうがいいと思う」
とT先生に言った。

T先生は、その場では声を荒げることもなく、
「ふゆうさん自身のために、必要な医療を受けないといけないし、そのためには『S先生とM先生、二人ともいてはる病院がいい』ってことになったんやろ? S先生は『来る』と思ってはるんやろ? 黙って行けへんようになったら、どう思うかな?」
って、話してくれはった。

この発言は、S先生やM先生だけではなく、T先生にとっても非常に申し訳ないものだった。次の診察のとき、T先生は
「俺、どんだけ不安やったか!!」
って、すごい怒られた。

「S先生とM先生とが診てくれてはるから、僕は婦人科のことを診てられたやん?」
「はい」
「最近はもうなくなったけど『腹痛がする』とか『吐き気がする』とかって、注射とか必要なったことがあったやろ?」
「はい」
「そういう時に、『なんで痛いんか』ってことが、僕一人では診きられへんから。だからS先生が他の病院へ行くっていうのも、僕は不安やったし」
「はい」
「ふゆうさんが、だんだん元気なくなっていったけど、僕だけでは聞けないことも、S先生やったら聞けるかもしれへんやん。だからな、『頼むからS先生のとこへは行ってくれ』って、どんなけ思ったか」
「すみません」
「そんな時に、ふゆうさん本人が『私はもういいんだ』みたいになってて、どうしようと思ってたんや!」
「ごめんなさい。申し訳ありませんでした」

そしてS先生に会いに行った。
いきなり「手術するか?」って話になるとは思ってもいなかった。

T先生の紹介で、循環器の先生にも診て頂くことになった。
ハント症候群にもなった。
入院まで、予想もしないことばかり続き、大変だが濃厚な日々を送ったように思う。

「入院までに、他の問題をできるだけ解決する」というS先生との約束があったから、色々なことを乗り越えられたように思う。

拍手[0回]

「受け取ったでぇ」

手術が終わってから翌日の朝までは、看護師さんが1時間に1回、様子を見に来てくださる。

来る人来る人に、
「S先生とM先生は愛し合っているのです、ずっと前から」
という話を聞いてもらった。

「え、なんで、それを知ってはるのですか?」
と聞かれるたびに、
「初診がM先生で、乳腺の病気やったからS先生を呼んでくださって……」
って説明をした。

手術の翌日にはベッドから起きて歩くことを勧められる。

手術の翌日、朝早くには副看護師長さん(男性)が来てくださって、
「参議院選挙の不在者投票を当院でも行います。その申し込み用紙を持ってきたんですけど、まずベッド起こしますね」
って言ってくれて、ベッドを起こしたり、申込用紙を書きやすいように広げてくださったり。
「今日から、歩けますからね。担当の者にカテーテルとか抜いてもらえますよ」
って言ってくれはる。

その後、尿道カテーテルや点滴をつけたまま、担当の看護師さんと一緒に歩いてみる。
歩けるということが確認できたら、尿道カテーテルを抜いてもらい、動きやすい服装に着替える。

水を飲んでもむせ返らないことが確認でき、昼食の重湯を一定の量以上食べることができれば、点滴をはずしてもらえると聞く。

点滴スタンドを押しながら、お茶を汲みに行ったら、スタッフステーションでM先生が手をあげてくれる。嬉しかったなぁ。
でも、スタッフステーションにいてはった他の先生は事情を知らないので、ちょっとびっくりしていはった。

実は、T先生から手紙を預かっていたけれど、入院初日はだれもが忙しそうやったし、次の日は自分も手術があったしで、渡すことができなかった。
それに、Z先生が
「せっかくやから、直接渡したらえぇやん。M先生はぜったい病棟に来るんやし」
って言ってくれた。

でも、恥ずかしかったので(今さら?)、担当の看護師さんが点滴を外してくれたときに、
「T先生という人がいて、その人からM先生宛の手紙を預かっているのです」
って、渡してもらえるようお願いした。

しばらくしたら、M先生がスタッフステーションで、大声で話してはるのが聞えてきて、
「あぁ、手紙を渡してくれはったんやなぁ」
って分かった。

「○○(苗字)さん?」
って、完全に私の苗字が分からない様子だったけれど、名前はおぼえててくれはった。

こうしてM先生の手に手紙が届いたことで、安心しきってた。
数十分後にいきなり、
「メッセージは受け取ったでぇ」
って声が病室に響いてびっくりした。
いきなりだったので、何が起こったのかわからず、放送大学「心理統計法」のテキストを胸に抱いて、硬直してた。

M先生が来てくれはったのだってわかったら、とても嬉しくなった。

「いつまで居てるん?」
「1週間の予定って言われてます」
「そっか。どうや、しんどくない?」
「うん! 大丈夫。あのT先生が愛を……」
「手紙はもらった!」
「早く、愛の飲み会を……」
「S先生、動いてくれたら嬉しいけどなぁ……って、何勉強してんの?」
「あの」
「何?」
「あの、(放送大学テキスト「疾病の成立と回復促進」を見せながら)このページって何が書いてあるんか、理解できへん(泣)」
「ん? ……どわ、なんで肺癌の勉強なんかしてんの!?」
「大学の試験なの」
「確かに、これは読みづらいな」
……M先生に教えてもらったので、肺癌のところはよくおぼえることができた。

拍手[0回]

「慕ってはいるけど、愛してはいない(笑)!」

今日はどういうわけか、いろいろな思い出が溢れてくるので、時間が許す範囲で書こうと思う。

私が、外科のS先生とM先生に出会ったのは、26歳のときだった。

お世話になっていた婦人科の先生に、
「乳房がぱんぱんに腫れて、熱を持っている」
とお話したら、
「授乳期でない人の乳房の疾患は、外科で診てもらうことになる」
として、院内紹介をしてくださった。

その日、初診外来を担当していたのがM先生。
乳腺の問題だからと、エコーの部屋にS先生を呼んで、いっしょに診察してくださった。

M先生とS先生と私が、三人で一緒に会う機会は、その後ずっとなかった。
この7月、入院中の部長回診で会ったときまで、ずっと。

私は乳房の経過観察のために、S先生の外来に通うことになった。
だから、M先生は私のことなんかそのまま忘れても良いはずだったのだ。

S先生が転勤されるとき、
「M先生に頼んでおこうか(笑)?」
って言ってくれはった。それは、私がM先生を「かっこいい」と言って、あまりに騒ぎ立てていたからだと思う。
S先生も、M先生に引き継いだこの時点で、私のことを忘れたって良かったと思うのだ。

その後もずっと、色々なことに付き合わせて、ごめんなさい。

私がS先生に話したことは、M先生にも分かってもらえると確信できたし、M先生に話したことは、S先生にも話すことができた。離れているのに、いつも一緒なんだと思える二人が、とても羨ましかった。

M先生に、
「S先生を愛してるんですよね」
と言ったら、
「慕ってはいるけど、愛してはいない(笑)!」
って返事されたことは、今思い出しても笑えてしまう。

拍手[0回]

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

フリーエリア

最新CM

[01/18 シャネル スーパーコピー キーケース]
[10/10 バッグ・財布・時計スーパーコピーブランドコピー]
[07/09 美辞ん堂ふゆう]
[07/07 衣斐 美由紀]
[05/04 t.soota]

プロフィール

HN:
美辞ん堂ふゆう
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R