嘱託殺人 「苦しむ父、見かねた」容疑の少年
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?clu=20100613-00000002-maip-soci少年にとって「父は病気であり、このような台詞は病気が言わせているのだ」ということを、理解するのは難しかったのではないだろうか?
【引用始まり】 ---
父親は体調を崩しながらも好きな酒をやめることはなく、
【引用終わり】 ---
アルコール依存症についての知識を、父親や少年が十分持っていたら、事態は違っただろうか?
・・・いや、残念だが、違わなかったかもしれない。
周囲の人が大人であっても、アルコール依存症の知識があっても、力ずくで止めることが難しいのが、アルコール依存症というものだ。
朝、元気を出すために飲む。夜、眠るために飲む。日中、不安を忘れるために飲む。介護中、私もそんなことを、やってしまっていた。
私は幸い、依存「症」とまではいえなかったが、アルコールに頼る気持ちが沸くのは、本当に簡単なものだっていうことは、私にもわかる。
この父子に関わった人の胸の痛みを、想像するとつらくなる。
私自身「介護中の無理がたたって、耳が悪くなってしまった」と周囲の人に打ち明けなければならなかったとき、「えぇ!!・・・(絶句)・・・」という反応に、改めて、自分が何をしてしまったのか気づかされた。
今も思い出す。祖母の介護・看病が、最後に自分の手でできた日のことを。
その日の朝に、外科のM先生のところ行って、M先生から「自分はどやねん!! 大丈夫なんか?」と、いつになく強い口調で言われたのに「うん、大丈夫!!」と答えてしまった。
そのとき私は、身長167センチに対し、体重が44キロしかなくなっていた。M先生は診察台に横になった私のおなかを見て、大事に大事に育ててきた腹筋がぺったんこになっていること、皮膚が乾いて弾力がないこと、眼球は充血しているのに、目の下の粘膜は真っ白なことに、気づいていたんだろう。
「うん、大丈夫!!」
「人工肛門のバッグは、7分で交換できる!!」
と、笑って自慢してた、精一杯の強がりを言い、脳天気を装っていた自分を思い出す。
大事なことは何も口に出せず、「大丈夫、大丈夫!!」と笑いながらつぶれていった自分の姿が、周りの人にどれほどの痛みを与えてしまったのか、半年、1年とかけて、やっとわかったように思う。
この事件の父子に関わった人、近所の人や、生活保護のケースワーカー、病院のスタッフの方、みんなきっと胸を痛めている。少年がいつか、その痛みに気づいたとき、どれほど苦しい思いをするだろう。
先日、少年の「俺もどうなってもえぇんや」という言葉が、報道されていた。
私もそう思っていた。このまま、静寂という密室の中に閉じこもってしまえばいいではないか。自分を「ろくでもない人間だ」と思っていれば、孤独も不安も絶望も、怖くないではないか。そう思っていたのだ。
ただ、いつしか「自分が悲しませてしまった人への贖罪は、自分でしなければならない」と思うようになった。心配をかけたままで、私が消えてしまったら、周りの人の痛みはすごいものになってしまう。だからせめて「大丈夫!!」という言葉を、本当に信じてもらえるレベルに回復する、ということが自分の贖罪なのではないかと。
少年が、いつか社会復帰を果たして、人生を切り開いていくことが、周囲の人に与えてしまった痛みへの償いとなるだろう。私はそう思う。
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