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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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海へ誘う

昨年暮れから今年初めにかけて、叔父が肺疾患で在宅酸素療法を行うことになり、親戚間で助け合いながらも、なかなか大変だった。
身体のしんどさ、精神的な辛さも抱えることになった叔父は、気を許すことができる私たちには言いたいことをいい、時には家を出てしまうこともあった。

私たち子ども・従妹世代は、仕事が最も忙しい時期(季節という意味でも、世代という意味でも)だし、仕事以外に何らかの活動をしている者は、仕事・活動に支障をきたすようにもなり、それぞれが大変な思いをしたと思う。

とはいえ、明けない夜はなく、最近ではめっきり叔父一家からのヘルプコールは少なくなった。

叔父は左官業で、なおかつアイスホッケーやフィッシングなどを行ってきた、とても活動的な人だった。
私がもっと自信を持って、海に向かい合えるようになったら、叔父を海へ誘ってもいいだろうか?
それとも、叔父の気持ちを逆なでしてしまうことに、なるのだろうか?

まぁ、その前に私が自分に自信をつけないと、何も始まらないけれど。

……と書いていると、思い出す。
叔父のことを話したとき、
「大変やったなぁ」
「叔父さんもきっと、自分の身に起こったことを、いつかちゃんと受け入れてくれるよ」
って言ってくれた人のことを。

その人が見ている海を、私も見たくなったことが、今につながっているということが、不思議な気がする。

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好き=ゴール

誰かや、何かを好きだと思う。

・好きだから、尽くしたい
・好きだから、喜ばせたい
・好きだから、役に立ちたい
・好きだから……
・好きだから……

こういう気持ちは自然なものだけど、
・好きだから尽くしていないと不安
・好きだから喜ばせていないと不安
・好きだから役に立っていないと不安
・好きだから……
・好きだから……
という気持ちに、いつの間にか変わってしまうことがある。
そうなると、本当に苦しいものだと思う。

ある人との出会いをきっかけに(その人とは恋仲とかではないが)、そういうことを考えた。

その人とは、会いたい、話したいという気持ちはあるし、次に会う予定も、話したい内容も決まっている。
多分、顔を見たらすごく嬉しいと思う。

でも、
・会えないから不幸だ
・話せないから寂しい
という思いは、あまりない。

「その人が、どこかに存在する」
それだけで、私は幸せだ。
ただ、その人のいる場所が、今は私の隣ではないというだけなのだ。

多分、それでいい。
「好き=ゴール」でいいのだと思う。

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生の実感をくれるもの

ふと、千石荘病院とその裏庭にいた猫たちのことを思い出した。
跡地はどうなったのか調べてみたところ、社会福祉法人による利用が決定したのだとか。

千石荘病院等跡地利活用事業の募集及び審査の結果について

「アニマルセラピー」という言葉は、自分の思い出と重なるところがある。

千石荘病院には、肺結核だった祖父がお世話になった。
見舞いに行くと、窓から裏庭が見えた。
そして、サッシ1枠につき猫1匹という感じで、ずらーっと猫が並んでいるのが、なんとも面白かった(推測だが、餌を与える人がいたのではないだろうか?)。
猫を飼ったことはないけれど、彼らの愛嬌のあるしぐさを見ているのは、確かに楽しかった。

結核患者の家族には、保健所から「感染していないか検査を受けるように」という案内が来る。
私と弟はまだ10代だったので、初めのうちはかかりつけの先生にツベルクリン反応を診てもらい、数年後からは保健所でレントゲンを撮ってもらったおぼえがある。
やがて「大学の健康診断などでレントゲンを撮るなら、保健所には来なくていいよ」と言われた。

祖父が喀血するようになって、救急車を呼んだとき、救急隊員の方は優しかったし、いつでも呼んでくれていいと励ましてくれた。
そして、血液を掃除するときの「ぬるり」とした感覚は、他では決して味わえないものだ。

私にとって、それらの経験は生活の一部であり、その部分を外せば、自分の10代、20代の思い出が、空虚なものになってしまう。
かと言って、友人に気軽に言える話ではなかった。
祖父の気持ちを考えても言えないし、友人も受験などがあるときに、「祖父が血を吐いて」なんて聞かされたらたまったもんじゃないだろう。
だから、誰にも言わないという選択は、それでよかったのだと今も思っている。

さて、20代も後半に差し掛かり、今度は祖母の介護をしていた時のこと。
何かのきっかけで、血液が手についたことがある。

そのとき、「あぁ、昔味わった感覚が戻ってきた」という気持ちが、すごく強くなった。
喜びとか興奮というものではないけれど、強いて言うなら「かつて自分は生きていたし、今も生きているという実感」のようなもの。

それからしばらくは「血が触りたい」「血が見たい」という気持ちが強くなって、困ったものだった。
そんな自分がおかしいのではないかと不安になり、精神科の先生に相談したこともある。
でも、そういう自分を受け止めてくださり、(その人に迷惑をかけないために詳細は伏せるが)感染症などの心配がない血を触らせてくれた人や、「血ではないけれど」と手術の手技を画像で表現した本を見せてくれた人もいた。
私自身が内臓の検査を受ける時には「『内臓を見られる! わくわく!』って思ってるやろ(笑)」といまだにからかわれる。
そして、その人たちのおかげで、今は放送大学で臨床系の授業を興味深く受講できるのだと、感謝している。

千石荘病院でのどかに流れていた時間と、かわいい猫たちの姿。
それと同じくらい、血液の感触や内臓のイメージというのは、私にとって生の実感をくれるものだと感じている。
まぁ、一般的に「10代のとき触れた血液の感触が、今も忘れられない」という言い方をすると、怪しい意味に受け取られることがほとんどだと思うので、このような膨大な説明が必要となるのだけど。

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誰かに犠牲を強いての幸せ

人間が生きるためには、動植物の命をいただかなければいけない。
「全く他の何も犠牲にしないで生きる」
ということは不可能だ。

人間には罪の意識というものがあるけれど、毎日毎日
「命を犠牲にして……」
と考えるのはつらすぎるから、生きていくために必要な犠牲について、気持に蓋をしているところがあると思う。

だからこそ、
・感謝していただく(「いただきます」という言葉を言うとか)
・時には供養といった儀式を行う
という習慣があるのだろう。

そして、食材を無駄にしたり、腐らせて捨てるなどの時には、どうしても罪悪感がつきまとうものだ。

「自分と、自分以外の人」という関係においても同じことが言えると思う。

他人に貢がせたり、パシらせたり、尽くさせたりしながら生きていると、どこか罪悪感を持ってしまう。
・してくれる相手に感謝し、言葉にする
・時にはその用事を代わったり、別の形で相手に貢献したりする
・仕事として報酬を払う
などのやり方で、世の中のバランスが取れていくのだろう。

しかし、家族や友人との付き合いの中で、
「何かをしてくれて当たり前」
「尽くしてくれて当たり前」
というタイプの人にも出会う。

でも、彼らにまったく罪の意識がなく、平気で他人に犠牲を強いているのかというと、そうでもないように見える。

いつも尽くす側、犠牲になる側だった人が、
「なんで、私だけがやらなきゃいけないのっ!」
「もういやだ!」
ってキレたときに、ヒステリックに反論したり逆ギレしたりする人は、心の中にいくばくかの後ろめたさを抱えているからこそ、そういう態度に出るのだろう。

全く罪の意識がないように見えるとしたら、
「そもそも犠牲を強いていたこと、そこまで負担になっていたことに気付いていない」
ということのほうが多いような気がする。
キレられたことで、彼らは罪悪感を抱くようになるかもしれない。

なんか、まとまりがなくなってきたけど、次のようなことを、今後も考えていきたいと思う。
・誰ひとり、何一つも犠牲にしないで、幸せになるのは不可能だ
・その代り、報酬・感謝・その他の方法で「一方的な犠牲」に終わらせない配慮が大切だ
・誰かに犠牲を強いておいて、完全に平気で幸せになれるほど、人間の心は単純ではない

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初心

長く付き合ううちに、
「あれ? こんな人だったかな?」
と思うことがある。

信頼できる人だった。
だから、信頼に応えようと頑張れた。
でもそれは「信頼できる」というフィルターを通してしか、その人を見ていなかったのかもしれない。
こんな人だって、ちゃんと見えていたら、同じくらい信じられたかな?

そういう疑問を抱くようになったときに、その人が「初心を忘れず」なんて言ってると、なんか笑えてしまう。

でも、忘れてた初心を思い出すことに、意味はあると思う。
「初心なんて、とっくに忘れたくせに」と批判するだけでなく、その人が初心を思い出したことで起こる変化を、冷静に見つめていけばよい。

そして、「信頼できる」という偏った見方をした自分のことも、同じくらい反省すべきなのだ。

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