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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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本当に苦しくなったら

「本当に苦しくなったら、この人に話そう」
と思える人がいると、本当に苦しくなるまで頑張れる。

「どうせ、私の言葉は誰にも届かない」
と思うときほど、まず初めの一歩が踏み出せない。

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真冬だったから

昨年の暮れから今年の2月ごろにかけて、親戚のことで色々と辛い時期があった。

そういう問題は
「人に話したから、その人が代わりに背負ってくれる」
というわけじゃない。

でも、事情を話した人が「大変やったな」と言葉をかけてくれること、そして後日お会いしたときに「どうなった? 大丈夫か?」と気にかけて下さることに、とても救われた。

「困っている。心が痛い」
「安心して眠ることができない」
「このことに時間や労力をとられて、他のことがちゃんとできず人に迷惑をかけてしまう」
という思いに、ちゃんと気付いてもらえるのだから、もう少し頑張ってみようと思えた。

親戚のことは辛かったけれど、人の優しさがどれほど温かいものか、真冬だったからこそ身に染みたように思う。

本格的な夏を迎えようかという今の季節に、なぜ、こんなことを思い出すのかな?

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きつく言うと拗ねる

私は子どもを持ったことがないから、分からない点もあるのかもしれないけれど。

知り合いにA男(30代)という人がいる。
A男の両親が、ある時、
「きつく言うと拗ねるから、もう言わない」
と言った。

あれ?
どこかで、同じ言葉を聞いたぞ?
と記憶をたどってみると、A男が10代の時に、ご両親がそう言っていたことを思い出した。

確かに、30代になった大人が「きつく言うと拗ねる」ならば、周りの人だって面倒くさいし、A男の性格を変えなければいけない義務とか責任は周りの人にない。

だから「きつく言わない=つまり対等な相手と考えない」という周りの人を責められないと思う。
実際、A男については「言いたいけど我慢しておく。面倒だから」という空気が、周りの人に流れていることは感じる。

でも、A男が10代だったときや、5歳児だったときには、
「拗ねても、問題は解決しないよ」
「拗ねれば拗ねるだけ、人は離れていくよ」
と誰か(多くの場合は親)が教えなければいけなかったのではないのか?

そして、もう時間が経っているから記憶にないだけかもしれないが、
「A男が、きつく言われたから拗ねた」
という場面が、私の記憶の中でそう多くない。

確かに、10代のA男を思い出してみると、「はい」「やります」という言葉より先に、反発の言葉が出てしまうタイプだった。
本当にやりたくないのではなく、「ともかく人の言葉は否定したい」という条件反射のようなものだったと思う。
では「やらないのか?」というとそうではなく、10分とか30分ほど経てば、やるべきことをやっているという記憶が、私の中にある。

A男のご両親の「きつく言うと拗ねる」という認識と、私の「一言多いが、時間が経てばやることをやってはいる」という認識。
どこで行き違い、記憶の違いが生じてしまったんだろう?

結論は出ていないけれど、人間は「拗ねても問題は解決しない」ということを、いつ学ぶのかなぁと、なんだか考えてしまった。

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難しい

誰かを大切に思うことよりも、一度大切に思った誰かを手放すことのほうが難しい。

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この人の心の中からは

もし私が、仕事やそのほかの何かを通して、多くの人の心に私の言葉を届けることができるようになったとしても、
「この人の心の中からは、決して消えてしまいたくない」
と思う人がいる。

たとえば、人に言えないような手段で大金を稼ぐとか、他人を蹴落としてビジネス上の成功をつかむといった選択はしたくない。
その人の心の中にいつづけることが、許されなくなるから。

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