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普通の日はないんですか!?

「大きな波に流されるのでも、逆らうのでもなく、波に乗って進みなさい」と、教えてくれたのはあなたでしたね。

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( ..)φ

明日、S先生に言わんといけないこと。

●12月半ばから、冷えのぼせがとてもきつく、腹痛や他の症状が続いたこと
●P先生がテノーミンを増やしてくれたこと
●T先生がエコーをしてくれて、内臓がうごうごしていたこと(卵巣の見分けがつかず、腹水は溜まっていないということ)
●今は、痛みと脱力感、体全体の活動量が下がったような感じがすること

●T先生と愛を語ってほしいこと

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乳腺外科の手術で入院する、その1年くらい前、M先生に会った。
「ふゆうさん、ちょっとふっくらした?」
って聞いてくれた。
あまりにも急に聞かれたので、一瞬答えに詰まったけれど。

「ごめん。そんなことない(笑)?」
「いえ、太ったよ! 8キロくらい」

介護と仕事に追われて、167センチの身長に44キロしかなくなった自分は、いくらなんでも痩せすぎだった。
その後、半年かけて52キロまで回復したのだから、顔つきだって変わる。

「今の顔の方がえぇわ」
「ホンマ?」
「うん。あんまり痩せてたら、老けて見えるやろ。今のほうが若く見えるし、いい顔や」
「ありがとうございます(^O^)/」

その1年後、思いがけず入院というかたちでM先生と再会することになった。
喜んでいたらハント症候群になって、自分で顔の動きを見ては「うわぁ」ってなった。

その後も、つらいことやしんどいことがあったけれど、少なくともM先生に「今のほうがいい」って言ってもらえたときの自分の顔より、もっといい顔をしていたいな、という思いが自分の心に生まれた。自分の顔は自分では見られないので想像するしかないんだけれど。

食欲がなかったり、疲れで顔がむくんでいたり、色々なことがあるけれど
「自分の顔に責任をもたないといけない」
「自分は今、いい表情を作れているだろうか?」
「人を気持ち良くする表情ができているだろうか?」
と考えられるように、なった気がする。

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( ..)φ

乳房の皮膚表面(あるいはそれにほど近いところ?)があまりにも痛む。
デジカメで撮ってみて、傷がないか確かめたけれどない(デジカメの焦点が、ちゃんと合っているのであれば)。

じゃあ、これはこういう乳房痛なのかな?
写真、撮っといて、診てもらおう。

-----

痛みの「もと」がどこにあるのか、さっぱりわからない。
何もないのにこれだけ痛むというのは、自分の頭がおかしいんじゃないかな?

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心の鎧

これは外科や婦人科の先生に確かめたわけじゃなく、あくまで私が考えたこととして書く。

S先生は初め、
「乳房の手術をすれば、傷が残る」
ということを心配された。

私も女性だから、
「傷があるのは本能的に嫌だ。綺麗な皮膚が続いているほうがいい」
とは思う。

それに加えて、私が考えるようになったのは、
「傷があるっていう事実が『心の鎧』になってしまう」
という面もある、ということ。


昔、私は婦人科で治療を続けていることを理由に、とんでもない暴言を吐かれたことがあった。

「そんな暴言を吐く人が悪い」
「婦人科での治療に偏見を持つ人が悪い」
と言うのは簡単だ。

ただ、その考えに固執していると、
「私自身に非はなかったのか?」
を考えるチャンスを失う。

「そもそも、その人を苛立たせるような態度を、私がとったのではないか?」
「気付かぬうちに、暴言を吐かせてしまうような、失礼なことをしていたのではないか?」
それも、考えなければいけない。


「手術によって胸に傷ができる」ということにしても、
「そのために、恋人や友人を驚かせてしまい、申し訳ない気持ちになる」
ということと、
「胸に傷があるから、恋はしない。友人と旅行するような深い付き合いはしない」
と初めから決めつけてしまうことは、まったく違う。

後者の考え方を続けているうちに、
「傷があるから、人と深い関係を結ば『なくていい』」
という、怠惰な方向に流れてしまいそうな気がするのだ。

夏に「乳房の手術をするか、否か」を、S先生と話し合っていたとき、また手術の予定を他の先生方に報告をしたときに、私には「傷が残ることは、別にかまわない」という気持ちがはっきりとあった。

私の心の中には、とても大事な人がいる。
その人への気持ちを超えるほど大事な人が、他に現れるのかというと疑問だ。
そして、その人は、私の胸に傷があろうとなかろうと、あるいは他のどんな治療を受けていようと、そのことで何か言う人ではないことも、確信できている。

だから、「胸に傷ができる」ことはかまわない。
診断を確定してもらうことのほうが大事だったのだ。

その人の立場や状況を考えると、私の気持ちは「自分で確かめる」だけにとどめておいた方が良いと思っている。
「その人が大切だ」
私の中にその思いがあるだけで、もう十分だ。

ただ、胸の手術を受けて以来、私は
「その人への思いが、現実からの『逃げ』になっているのではないか」
と考えることが増えた。

「大切なのはこの人だ。この人だけだ。だから、他の人とは深く関わら『なくていい』」と考えてはいないだろうか?
私が、その人への思いを心の鎧としていることが、その人に伝わってしまったら、その人はどう感じるだろう?

その人への思いは、すぐに変えることができないし、変えなくていいと思う。
ただ「心の鎧を自分で脱ぎ捨てていく」こともまた、忘れてはいけないのだろう。

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