精神科のN先生のところへ行った。
話した内容は、主に身体の治療の報告なので、割愛する。
まだ10代のとき、私が近所の医院に行っている間に、自宅でトラブルが起こった。
「私が医院にいる=自宅にいない」ということであり、「いない」ことが原因でのトラブルだった。
精神科のN先生のところへ通い始めて、しばらくこのことを、話していたことがある。
そして今でも、「病気が治らなかったら、怒られる」「病院から帰ったら、何か不吉なことが起こる」という気持ちが湧きあがって、精神的に混乱することがある。
最近では頻度としては少なくなったけど、よく知っている先生に、気持ちを許して話した後のほうが、混乱することがある。逆に、まだよく知らない先生や、検査技師の方とかと話しただけの日は、めったにそういうことは起こらない。
私はこの混乱のもととなるトラブルを起こた人を、今も許せない。
でも、「その人に全責任があるのか」というと、また違うようにも思う。
同じ出来事が起こったとしても、精神科で治療をしなければならない状態になる人・ならない人の違いがあるし、たとえばPTSDに関する裁判では、その点が論争になる場合もあるそうだ。
また、そういうトラブルを起こしてしまう人が「その形でしか気持ちを表現できない」ということに悩んでいるケースもあるそうだ。
これは、私自身の現状にも当てはまる。
「こういう条件がそろうと、心が痛いことがある」からといって、先生方を巻き込んでよいことにはならない。
そして、現状では巻き込んでしまっていることを、申し訳ないと思う。
私は、私を診てくださる先生方を信頼している。実際に、色々な話を聞いてくださって、よくしてくださることをちゃんとわかっている。先生方が怒ったり、責めたりしないことを、知っている。
だからこそ、「どうしたらいいんだろう?」と、申し訳なくなる。
こういう形で、「信頼」を確かめてしまう自分が、情けなくなるのだ。
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